拙速と神速あれこれ(孫子名言の意味と解説)

孫子の言葉「拙速」の意味・活用ヒント・十一家の注釈を紹介します。名言・格言・熟語について、あれこれ触れていく教養・雑学コラムです。

関連:孫子全訳 / 孫子兵法 作戦篇の解説

拙速 とは

拙速」(せつそく、せっそく)

 意味  まずくても速く為す。完全でなくても途中で片をつける。

 解釈  完全を求めて時間をかければ疲労・消耗する、まずくても速く終えれば疲労・消耗も少なく効率的。

 出典  《孫子兵法・作戦篇》:故兵聞拙速、未睹巧之久也。

孫子兵法の作戦篇を読むとあらわれる言葉が「拙速」です。対義語は「巧之久」「巧久」で、《太平御覧・293》では「工久」「工遅之久」ともいわれますが、意味はどれも同じです。

「拙」は、つたない・へた・まずい・役立たず、などの意味を持っていて、拙者・拙著などのように自分をへりくだる際にも用いたりする言葉。「速」は、はやい・すみやか・はやく行う、などの意味を持った意味です。

組み合わせると「拙速」は、つたなくも速く為す・まずくても速くやる、という意味になります。

拙速の解説画像

大事な大事なハンマーチャンス。ハンマーは一度使うと壊れる使いきりハンマーとします。

こたえはもちろん、ほどほどプラン(拙速)です。

拙速という熟語はいつ生まれたか

結論から言うと「拙速」がいつ生まれたかは不明です。注1※拙と速の字=言うまでもありませんが「拙」と「速」それぞれ個別の文字は古から存在します。「拙」の字は老子などにも登場し「速」の字もさまざまな書に記されています。

ただし、史料の記述から推察することはできます。これについて少し考察してみます。

古来の孫子兵法の姿を伝える銀雀山漢墓の竹簡孫子では「拙速」と「巧之久」の部分は欠損しており、漢代以前から「拙速」という表現をされていたかどうかは不明です。

仮に曹操が著した《魏武帝注孫子》が100%純粋な姿で後世に伝わったとすると、「拙速」という熟語は三国の魏の時代までには存在していたことになります。

確実に存在していたと言い切れるのは、現在にも伝わる「武経七書の孫子」と「十家注孫子(十一家注孫子)」が作られた宋代です。

孫子以外の文献では、宋の紹興が残し(原作は晋の陳寿)現在にも伝わる正史《三国志・魏書・徐胡二王伝第二十七》に「拙速」の記述が見られます。王基の発言で「兵聞拙速、未覩工遲之久。」とあり、拙速と工遅之久の組み合わせになっています。この「工遅之久」という表現から、これは同じく宋代につくられた《太平御覧》から引かれたものと考える事ができます。

これらをまとめると次のようになります。

  • もしかしたら漢代以前から「拙速」という熟語が使われていた。
  • もしかしたら三国の魏のころには「拙速」という熟語が存在していた。
  • 宋代までには確実に「拙速」という熟語は存在していた。

いずれも孫子兵法と拙速はセットで伝わっていますので、「拙速」は孫子が初出かどうかは不明ながら、「拙速」は孫子のことばと解釈して差し支えはなさそうです。

拙速と神速の語出 そして尊ぶ

拙速の言葉は方々で使われていて、出典では「兵は拙速を聞くも」(軍事の拙速の例はよく見られるが)という使われ方、《旧唐書・77》では「兵は拙速を尚ぶ」(軍事は拙速を重んじる)という使われ方をしています。

似た言葉に「神速」があり、似た言い回しに「兵は~を●●」注2「兵は~を●●」=この言い回しは同じく作戦篇に「故兵貴勝、不貴久」兵は勝を貴び、久を貴ばず。という文章があり、これに由来しているとも考えることができます。があります。神速は「神業の速さ」と解し、スピードを主眼に置いた言葉なので、拙速と比べますとチョッとニュアンスは異なり、厳密に言うと違う言葉なのですが、意図するところを広義に見れば拙速とおなじく「被害を出さずに速く為す」と解釈ができます。

原文の並びを比較してみると「兵拙速」「兵拙速」と「兵貴神速」(兵は神速を貴ぶ)というように、やはり似ています。いろいろミックスして「兵貴拙速」という使われ方もしています。

兵は拙速を尊ぶ、という言い回しも見ることができますが、以下の理由で不適切といえます。「尊ぶ」とは尊敬する意味で、重んじる・大切にする意味を持つ「貴ぶ」「尚ぶ」とは別物なのです。拙なるものを尊ぶというのは、なかなかの変態さんです。

不適切で変態さんですので「兵拙速」の出典・語出を古代の古典からみつける事はできないのです。「兵尊速」なら適しているように見えますが、こちらも出典・語出を古代の古典からみつける事はできません。

お話をもどして以下にそれぞれの出典・語出を紹介します。

「兵貴神速」(兵は神速を貴ぶ)の言い回しは拙速よりも更に広く使われていて、史書・小説など種類問わず例を挙げれば《秋水軒尺牘・第一百三十二首》《隋唐両朝史伝・第十三回》《紅拂記・27》《東西晋演義・100》《明史紀事本末・27》《西漢演義・13 章邯の台詞》《三國演義・26 袁紹の台詞・33 郭嘉の台詞》《太平御覧・293》など数百を越えます。

「神速」単品で例を挙げれば《資治通鑑》ほか数千規模の使用例があります。「拙速」もまた数千規模の使用例があって挙げ切れません。

「兵貴拙速」(兵は拙速を貴ぶ)の言い回しは、史書・小説問わずに列挙すると《十一家注孫子・作戦篇・何氏注》《百戦奇略・7巻・法正の台詞》《大学衍義補・142》などがあります。

さらに関連して似た類語に「速成《春秋左伝・襄公十七年》」速く仕上げる、などがあるのですが、ここまでくると本題から離れてしまいますので自重します。

拙速と神速 活用ヒント

拙速

 活用ヒント  被害・消耗が出ないうちに片付ける。

 活用ヒント  完全でなくても良き頃合であれば早めにやる。

神速

 活用ヒント  なにものも寄せ付けないスピードでやれば、途中で被害も受けにくい。

 活用ヒント  速く為せば人の先を行ける。

関連:孫子兵法の使い方【活用のコツ】

拙速 十一家注

拙速」にまつわる注釈を十一家注孫子からご紹介します。以下のような注釈や他の文献などを受けて、足したり引いたりしながら解釈は成り立っています。

関連:十一家注と注釈者11人とは

 原文  []故兵聞拙速、未睹巧之久也。

 書き下し  故に兵は拙速を聞くも、いまだ巧の久しきを睹ざるなり。

 解釈  ですので兵(軍事)は拙速で上手くいった例は聞いても、巧の久しき(完全を求めて時間をかけるやり方、巧久)の例を見るには至らないのです。

数字]は便宜上つけたもので、原文にはありません。

]故兵聞拙速、未睹巧之久也。

※曹操、李筌曰、雖拙、有以速勝。未睹者、言其無也。

曹操、李筌曰く、拙といえども、速きを以て勝つあり。いまだ睹ざるとは、その無きことを言うなり。

※曹操の注の補足

解釈:まずくても速を以て為す。いまだ(例を)見ないというのは、無いということを言っているのである。

※杜牧曰、攻取之間、雖拙於機智、然以神速為上。蓋無老師、費財、鈍兵之患、則為巧矣。

杜牧曰く、この間に攻め取るとき、拙において機智ありといえど、しかるに神速を以て上と為す。蓋し師に老無く(軍に老朽・被害なく)、財を費し、これを患い兵を鈍くするを、すなわち巧とするなり。

※杜牧の注の補足

解釈:拙速で勝つとき、拙にいろいろな工夫があるといっても、神速(はやくやる)の効果が一番である。思うに軍に被害は無いが、戦費を消耗し、それによって兵(軍)を疲弊させる情況、これがここでいう巧であろう。

※孟氏曰、雖拙、有以速勝。

孟氏曰く、拙といえども、速きを以て勝つにあり。

※陳皥曰、所謂疾雷不及掩耳、卒電不及瞬目。

陳皥曰く、いわゆる疾雷も耳を掩う(おおう)に及ばずとは、電も目を瞬くに及ばずして卒するなり。

※陳皥の注の補足

「疾雷も耳を掩うに及ばず」という文面は陳皥が《六韬・軍勢》を引いたものです。「疾雷不及掩耳、迅电不及瞑目。」(疾雷も耳を掩うに及ばず、迅電も目を瞑するに及ばず。)

これは、耳をふさぐ前に雷が鳴り、目を閉じる前に雷が光るような「速さ」を表現した句です。

このうちの前者を「目をまばたきする前に電雷が走るように素早く終らせる」と解釈して、拙速の「速」にフォーカスをあてて説明した注釈です。スピードが要という解釈と捉えることができます。

杜佑註同孟氏。

杜佑註、孟氏に同じ。(杜佑の注は孟氏のものと同じ)

※梅堯臣曰、拙尚以速勝、未見工而久可也。

梅堯臣曰く、速きに勝つを以て拙を尚ぶ(たっとぶ)、いまだ久しくして工(巧)とす可しを見ざるなり。

※梅堯臣の注の補足

すばやく勝つという観点でみて拙を重んじる、まだ長く行って上手くいった例は見ない。という解釈をした注釈と捉えることができます。

※王晳曰、晳謂久則師老財費、國虛人困。巧者、保無斯患也。

王晳曰く、晳(王晳)謂うに久はすなわち師(軍)を老わせ(老朽させ)財を費やし、国虚しくし人困す(困窮)。巧は、これを患い保を無くすなり。

※王晳の注の補足

「巧之久」「巧久」の注釈。久は疲弊・消耗を生み、国と民を困窮させる所業。巧は前者の効果をながびかせる行為。と解釈できます。

※何氏曰、速雖拙、不費財力也。久雖巧、恐生後患也。後秦姚萇與符登相持、萇將苟曜據逆萬堡、密引符登。萇與登戰、敗於馬頭原、收眾復戰。姚碩德謂諸將曰、「上愼於輕戰、毎欲以計取之。今戰旣失利、而更逼賊、必有由也。」萇聞而謂碩德曰、「登用兵遲緩、不識虛實、今輕兵直進、徑據吾東、必苟曜與之連結也。事久變成、其禍難測、所以速戰者、欲使苟曜竪子謀之未就、好之未深耳。」果大敗之。武后初、徐敬業舉兵於江都、稱匡復皇家。以盩厔尉魏思恭為謀主。問計於思恭、對曰、「明公旣以太后幽縶少主、志在匡復、兵貴拙速、宜早渡淮北、親率大眾、直入東都。山東將士知公有勤王之舉、必以死從。此則指日刻期、天下必定。」敬業欲從其策、薛璋又說曰、「金陵之地、王氣已見、宜早應之、兼有大江設險、足可以自固。請且攻取常、潤等州、以為王霸之業、然後率兵北上、鼓行而前、此則退有所歸、進無不利、實良策也。」敬業以為然、乃自率兵四千人、南渡以擊潤州。思恭密謂杜求仁曰、「兵勢宜合、不可分。今敬業不知幷力渡淮、率山東之眾以合洛陽、必無能成事。」果敗。

何氏曰く、拙といえども速きにすれば、財力を費やさざるなり。巧といえども久しくすれば、恐れを生じて後に患うなり。

後秦の姚萇注3※姚萇=ようちょう。後秦の創始者。と符登注4※符登=ふとう。前秦の第5代皇帝。あい待ち、萇(姚萇)の将の苟曜注5※苟曜=じゅんよう。このとき腹にいちもつアリ。は逆萬堡(地名)に據りて(拠りて)、密かに符登を引く(手引きした)。萇(姚萇)と登(符登)は戦い、馬頭原(地名)に於いて敗れ、衆を収めて復戦す。(姚萇サイドの敗北と再起)

姚碩德注6※姚碩德=ちゅうせきとく。後秦の将、姚萇の弟。は諸将に謂いて曰く、「軽戦を上愼注7※上愼=慎重の意、語出《詩経・魏風》にし、毎に(つねに)計を以てこれを取らんと欲す。いま戦うに既に利を失い、而して更に賊に逼るは(迫るは)、必ず由あらんや。」

萇(姚萇)は聞きて碩德(姚碩德)に謂いて曰く、「登(符登)の用いし兵は遅緩(おそい、鈍い)、虚実を識らず、いま軽兵は直進し、吾が東の拠を経て、必ず苟曜とこれに連結するなり。事久しければ変(凶変・不時の災難)を成す、その禍難注8わざわいの意、語出《春秋左伝・襄公三十年》《韓非子・奸劫弑臣》を測る、速戦の所以とは、これ未だ就かざる(合流できていない点)を謀り苟曜を竪子注9※竪子=じゅし。小子・不足などの蔑称、語出《史記・項羽本紀》《三国演義・第6回・曹操の台詞》たらしめんと欲せば、この未だ好かざるを耳に深む(敗北の報を耳に深める)。」果たしてこれを大いに敗る。(姚萇サイドの勝利)

武后注10武周の武則天、武照、在位690年~705年の初(はじめのころ)、徐敬業(李敬業)は江都にて挙兵し、皇家の匡復(匡復府大将軍)と称す(自称した)。

盩厔尉注11※盩厔尉=ちゅうちつい。盩厔は地名、尉は校尉、地方警備の官、魏思恭(魏思温、徐敬業の将)を以て主(あるじ、主君)を謀らんとす。思恭(魏思恭・魏思温)に計を問う、対て(こたえて)曰く、

「明公注12※明公=名の有る人への尊称、語出《三国志・呉書・孫破虜討逆伝》《三国演義・第1回》すでに以て大后の少主を幽縶注13※幽縶=幽絆・幽閉の意、語出《鄭注礼記》《詩経》《毛詩》し、匡復(自称:匡復の徐敬業)の志あるや、兵は拙速を貴び、宜に(ギに、ほどよく)早く淮北(地名)を渡り、親の大衆を率いて、直ちに東都に入らん。山東の将士は公(明公・李敬業)に勤王の挙(挙兵)あるを知らば、必ず死を以て従わん。これすなわち日の刻期注14※刻期=克期、期限を切ること、語出《三国志・魏書・公孫瓚伝》を指し、天下を必ず定む。」

敬業(徐敬業)その策に従わんと欲し(魏思温の策をとらないと思ったが)、薛璋(薛仲章、徐敬業の将)また説いて曰く、「金陵の地に、王の氣已注15※氣已=内なる気・こころ、語出《論衡・寒溫》《黄帝内経》《三国志・魏書・華佗伝》など)を見る、宜に(ギに、ほどよく)早くこれに応じ、兼て大江(大きい河川)に険を設ける有り、以て自らを固くす可きに足る(守備を固めるに足る)。且つ常・潤らの州を攻め取るを請う、以て王覇の業を為し、然る後に兵を率い北上し、鼓行注16※鼓行=太鼓を鳴らして進軍、語出《周礼・大司馬》《史記・淮陰侯列伝》して前にす、此れすなわち退きて帰る所有り、進みて利にせざる無し、実に良き策なり。」

敬業(徐敬業)以て然るを為す(薛璋の言うようにした)、すなわち自ら兵四千人を率い、南に渡り以て潤州(地名)を撃つ。

思恭(魏思恭・魏思温)密かに杜求仁(徐敬業の将)に謂いて曰く、「兵勢宜く合す(まとまれば強い)、分く可からず(分けることなかれ)。いま敬業(徐敬業)と力を并せ淮(地名)に渡るを知らず、山東(地方名)の衆(大軍)を率い以て洛陽(都市、地名)に合えば、必ずや能く事を成すこと無し。」果して敗る(李敬業サイドの勝利)。

※何氏の注の補足

前半は《晋書》《資治通鑑》あたりから引いた戦史、後半は《新唐書》《資治通鑑》あたりから引いた戦史です。

前半、前秦を追い落とした後秦の姚萇(ようちょう)と前秦の残党を率いる符登(ふとう)の戦史で、敗北を経て勝利したエピソード。後半、李敬業(りけいぎょう)と仲間達の活躍。

これら戦史エピソードを引いて拙速と巧久を説明した注釈です。

※張預曰、但能取勝、則寧拙速、而無巧久。若司馬宣王伐上庸、以一月圖一年、不計死傷、與糧競者、斯可謂欲拙速也。

張預曰く、ただよく勝ちを取らば、すなわち寧ろ拙速をして、巧久無し。司馬宣王(三国・魏の司馬懿)の上庸(地名)を伐つがごとく、一月を以て一年を図り(はかり)、死傷を計らず、糧を与え競わすは、これ拙速を欲すというべきなり。

※張預の注の補足

魏の司馬懿は反乱を画策する上庸の孟達を攻めるに、通常の行程では一月かかる道を、八日で駆け抜け撃破したエピソードに絡めた注釈です。

司馬懿のようなスピードで、計画を繰り上げ、多少の危険は考えず、報酬を与えて部下の士気を補う。このようなことは拙速だと言える。と解釈できます。

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1. ※拙と速の字=言うまでもありませんが「拙」と「速」それぞれ個別の文字は古から存在します。「拙」の字は老子などにも登場し「速」の字もさまざまな書に記されています。
2. 「兵は~を●●」=この言い回しは同じく作戦篇に「故兵貴勝、不貴久」兵は勝を貴び、久を貴ばず。という文章があり、これに由来しているとも考えることができます。
3. ※姚萇=ようちょう。後秦の創始者。
4. ※符登=ふとう。前秦の第5代皇帝。
5. ※苟曜=じゅんよう。このとき腹にいちもつアリ。
6. ※姚碩德=ちゅうせきとく。後秦の将、姚萇の弟。
7. ※上愼=慎重の意、語出《詩経・魏風》
8. わざわいの意、語出《春秋左伝・襄公三十年》《韓非子・奸劫弑臣》
9. ※竪子=じゅし。小子・不足などの蔑称、語出《史記・項羽本紀》《三国演義・第6回・曹操の台詞》
10. 武周の武則天、武照、在位690年~705年
11. ※盩厔尉=ちゅうちつい。盩厔は地名、尉は校尉、地方警備の官
12. ※明公=名の有る人への尊称、語出《三国志・呉書・孫破虜討逆伝》《三国演義・第1回》
13. ※幽縶=幽絆・幽閉の意、語出《鄭注礼記》《詩経》《毛詩》
14. ※刻期=克期、期限を切ること、語出《三国志・魏書・公孫瓚伝》
15. ※氣已=内なる気・こころ、語出《論衡・寒溫》《黄帝内経》《三国志・魏書・華佗伝》など)
16. ※鼓行=太鼓を鳴らして進軍、語出《周礼・大司馬》《史記・淮陰侯列伝》