【兵について】太平御覧の孫子注1《太平御覽・兵部一・敘兵上》より【訳】

太平御覽(たいへいぎょらん)の孫子とその注釈を紹介します。

太平御覽は宋代につくられた書で、宋の太平興国という元号の八年(西暦984年)に成立し、皇帝が熱心に御覧になったので太平御覽と呼ばれています。もとの名称は《太平総類》略称は《御覧》。

この書の内容は、各テーマ別に様々な書物からの引用文章が収められたものです。言い変えるとテーマ別のオススメ本・オススメ格言を紹介した「まとめ記事」です。

太平御覽の魅力は、「検索・索引として便利」で、現代には伝わらず失われた書物の記述も収められており「史料的に貴重」という部分にあります。活用としても実用的に使うことが出来て、学術的にも一定の価値を持つ名書であります。

今回はそのなかの《孫子》についての記述を抽出してご紹介します。「兵部一・敘兵上」では【兵】をテーマに、孫子の記述が抽出されています。

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 目次

御覧の孫子1《太平御覽・兵部一・敘兵上》巻270

【凡例】便宜的に見出しをつけ、それぞれの見出しごとに原文・訳文・意訳・補足を附しています。原文は句読点、引用符、情緒符号が附されたものです。

【御覧孫子の特徴】本文と注釈の多くは原典や類書からの単純な引用なのですが、細部に差異が見られ、その異なる部分に注目して楽しむことも出来ます。

御覧の孫子1【計篇・始計篇】の部分

【計・始計】その情を索む

孫子曰、兵者、國之大事。校之以計、而索其情。(謂下五事、彼我之情。
 訳 孫子曰く、兵は、国の大事。これを校ぶる(くらぶる)に計を以てして、その情を索む(もとむ)。

※御覧注=下に謂う五事は、彼我の情。

 意訳 孫子曰く、兵は国の大事(消耗や被害を出しかねないおおごと)。これ(双方の戦力・国力)を比較するに計(はかる・戦力を把握する)をもってくらべ、その情報(内情・外情など)を考慮します。

※御覧注=下記の五事(道・天・地・将・法)は、敵味方の情報を思索(熟慮、検討)するための事柄。

 古典ぱんメモ  この御覧の注釈は、曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、謂下五事、七計、求彼我之情也。)《十一家注孫子》

この曹操の注釈の一節が「五事七計」ということばの語源です。

【計・始計】上と意を同じくせしむるもの

一曰道、二曰天、三曰地、四曰將、五曰法。道者、令人與上同意、(謂導以教令也。
 訳 一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法。道とは、人をして上と意を同じくせしむるものなり、

※御覧注=謂わゆる教令を以て導くものなり。

 意訳 道(統治・政治)・天(環境)・地(地形・地の利)・将(将の能力)・法(法規・軍制)の五つの事柄で比較します。道とは人民と上(上司や国家)の意志や思惑を一致させること・一致させるものです。

※御覧注=上下の意志を一致させるには、教令をつかって導く。

 教養 ※教令=キョウレイ。おしえ導くこと。《詩経・小雅》→君子位に在るや、民附してこれを仰ぎ、其の教令の行わるは、甚だ堅固なり。

 古典ぱんメモ  この注釈は、曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、謂導以教令。危者、危疑也。)《十一家注孫子》

【計・始計】畏れ危わざるなり

故可與之死、可與之生、而人不畏危。(危、疑也。言上有仁化于下、則能致命也。
 訳 故にこれと死すべく、生くべくして、人は畏れ危わざる(疑わざる)なり

※御覧注=危は、疑なり。言うに上に仁あるを下に化すれば、すなわち命を致すにあたうものなり。

 意訳 このようにすれば、上と運命を共にして、人民は疑わずについてきてくれます。

※御覧注=危は、疑のこと。上の仁徳を下に伝播させれば、下は命を投げ打つ覚悟をしてくれるのです。

 古典ぱんメモ  この注釈は杜佑の注《通典》から引いたものと見ることが出来ます。(危者、疑也。上有仁施、下能能致命也。)《十一家注孫子》

【計・始計】天と地と

天者、陰陽寒暑時制。地者、遠近險易廣狹死生。(言以九也、形勢不同、因時制度也。
 訳 天とは、陰陽、寒暑、時制なり。地とは遠近、険易、広狹、死生なり。

※御覧注=九を以て言うなるは、形勢同じきにせず、時制に因りて度る(はかる)なり。

 意訳 ここでの天とは、陰陽、寒暑、時制のこと。ここでの地とは遠近、険易、広狹、死生(高低)のこと。

※御覧注=この部分について九地篇の言わんとしている事は、一定の形にとらわれることなく、情況に応じて的確に観察すること。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、言以九地形勢不同、因時制利也。論在九地篇中。)《十一家注孫子》

※死生=死生を高低(高下)と解釈するのは《淮南子・兵略訓》の許慎注である《淮南鴻烈間詁》または《淮南鴻烈解》によるものです。その部分の注釈を紹介します。

《淮南子・兵略訓》該当部分の原文→「所謂地利者、後生而前死、左牡而右牝。

訳:いわゆる地の利とは、後ろに生じて前に死す、左に杜して右に牝す。

《淮南鴻烈間詁/淮南鴻烈解》そこにあてられた許慎注の原文→「高者為生、下者為死、丘陵為牡、谿谷為牝。

許慎注の訳:高きものを生と為す、下き(ひくき)ものを死と為す、丘陵を杜と為し、谿谷(渓谷)を牝と為す。

銀雀山漢墓の竹簡孫子では、「地者、高下・廣狹・遠近・險易・死生也。 」となっていまして、十一家注本(十家注本)や武経本が成立する宋代までのあいだに、高下の意味合いは死生の方にまとめられたと解釈できます。

※許慎=後漢の人。《五経異義》《説文解字》《淮南鴻烈間詁》を著した。

【計・始計】将の五徳

將者、智信仁勇嚴。(將宜五德備也。
 訳 将とは、智、信、仁、勇、厳。

※御覧注=将によろしく備わるべき五つの徳なり。

 意訳 ここでの将とは、智、信、仁、勇、厳のこと。

※御覧注=これは良い将に備わっている五つの徳のこと。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(將宜五德備也。)《十一家注孫子》

【計・始計】曲・幟・制・官・道

法者、曲幟制官道主用。(部曲幡幟、金鼓之制。官者道者糧路主用、軍費用也。
 訳 法とは、曲幟制、官道の主用なり。

※御覧注=部曲、幡幟、金鼓の制。官と道は主用と糧路、軍費を用いるなり。

 意訳 ここでの法とは、部曲、幡幟、金鼓の制、指導者の仕事、糧道の管理のこと。

※御覧注=曲幟制は、部曲(部隊編成)、幡幟(軍旗)、金鼓の制(指示伝達の制御)のこと。官は指導者の編成、道は糧道のことで、軍費を消費する事柄。

 教養 ※主用=シュヨウ。あるじの部下管理、主軍の管理、編成、準備。《廣韻》→用は使うなり。《荀子・富国》→仁人これ國を用いる。《荀子 楊倞注》→用は為むる(おさむる、治)なり。《國語・巻十六・鄭語》→時至りて用を求む。《韋昭注》→時は難なり、用は備なり。

※部曲=ブキョク。ここでは軍隊の部分け、編成と解釈。《史記・李将軍伝》→部曲・行伍の営を陳る(つらねる)に、程(きまり)識らずを正し、刁斗を撃つ。

※行伍=コウゴ。行は5人または25人の隊、伍は5人の隊で、小隊と解釈。《廣韻》→行は伍なり。《春秋左伝・隠公十一年》→鄭伯、卒ごとに猳(いのしし)を出し、行ごとに犬鶏を出さしむ。《左伝 杜預注》→二十五人を行と為す。

※刁斗=チョウト。軍用の銅器、ドラ、打って使う鳴り物として、また鍋として飯炊きにも使うことが出来、さらに分量「一斗」の食糧をつめて携行バッグとしても使える便利グッズ。《史記・李将軍伝》→刁斗を撃ち、以て自らを衛らず。《史記集解》→孟康曰く、銅を以て鐎器を作り、一斗を受け、昼は飯食を炊き、夜は撃ちて持ち行る(めぐる)、名づけて刁斗と曰う。

※鐎器=ショウキ。銅の器。《説文解字》→鐎は鐎斗なり。

※鐎斗=ショウト。刁斗と同義。《廣韻》→刁斗を以て鐎と釋す。

※幡幟=ハンシ。はたじるし、のぼりの旗。《集韻》→幡は一に曰く幟(のぼり)なり。《後漢書・馬防伝》→臨洮(リントウ、地名)を去ること十余里、大営を為り、幡幟を多く樹る(たてる)。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、曲制者、部曲、幡幟、金鼓之制也。官者、百官之分也。道者、糧路也。主者、主軍費用也。)

【計・始計】これを知るものは勝ち

凡此五者、將莫不聞、知之者勝、不知者不勝。
 訳 およそこの五者、將聞かざること莫きも(無きも)、これを知るものは勝ち、知らざるものは勝たず。

※御覧注=なし

 意訳 五事(道・天・地・将・法)について頭の中に無い者などいませんが、これを熟知するものは勝ち、理解しないものは勝てないのです。

※御覧注=なし

【計・始計】兵は詭道

又曰、兵者、詭道、故能而示之不能、用而示之不用、(言已實能用師、外示無法。
 訳 また曰く、兵は、詭道、ゆえに能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、

※御覧注=言うに師を用いてすでに能く(よく)実しながら、外に無法をしめす。

 意訳 またこのようにも曰く、兵の基本は詭道(だます・いつわる・かくす・だしぬく等)です、なので良くても良くないと見せかけたり、必要なのに不要だと見せかけたりもします。

※御覧注=たとえば内に軍を充実させながらも、外には充実していないように見せかけるようなもの。

 古典ぱんメモ  この注釈は李筌の注、杜佑の注《通典》から引いたものと見ることが出来ます。(李筌曰、言己實用師、外示之怯也。)(杜佑曰、言已實能、用、外示之以不能、不用、使敵不我備也。)《十一家注孫子》

【計・始計】遠くしてこれに近きを示す

近而示之遠、遠而示之近。(欲進而治去道、若韓信之襲安邑、陳舟監晉而度于夏陽是也。
 訳 近くしてこれに遠きを示し、遠くしてこれに近きを示す。

※御覧注=進みて治めんと欲すも道を去る、韓信の安邑を襲うがごとく、陳(陣)の舟は晋(晋陽)を監て(みて)夏陽を度る(はかる)これなり。

 意訳 近いのに遠いと見せかけたり、遠いのに近いと見せかけたりします。

※御覧注=前進して統治したいのに、あえて道を外れたりするようなもの。これは漢の韓信が安邑を襲撃したように、軍船で黄河を渡り晋国(晋陽)を攻めると見せかけて、ひそかに夏陽から別働隊をつかわせ魏の本拠(安邑)を落とし、魏王(魏豹)を捕縛した。このようなものが詭道。

 古典ぱんメモ  《史記・淮陰侯列伝》にある、韓信のあざやかな戦史エピソードは李筌、杜佑、杜牧、何氏、張預の注でも引かれています。

【計・始計】実にしてこれに備え

故利而誘之、亂而取之、實而備之、(敵持實、須備之。
 訳 ゆえに利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、

※御覧注=敵の実を待つとき、すべからくこれに備うべし。

 意訳 ですので利を求めていればこれを誘い、乱れていればこれを取り、充実していればこれに備え、

※御覧注=充実している敵を迎え撃つときには、充分に備えて待ち受けるべき。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、敵治實、須備之也。)《十一家注孫子》

【計・始計】強にしてこれを避け

強而避之、(避其所長。
 訳 強にしてこれを避け、

※御覧注=その長ずる所を避く。

 意訳 敵が強いときにはこれを避ける。

※御覧注=相手の長所、有利な分野での戦いは避ける。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、避其所長也。)《十一家注孫子》

【計・始計】怒にしてこれを撓し

怒而撓之、(待其衰解。
 訳 怒にしてこれを撓し(みだし)、

※御覧注=その衰解(衰微して瓦解する)を待つ。

 意訳 敵が怒るときにはこれを乱す。

※御覧注=乱して消耗・自滅を待つ。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、待其衰懈也。)《十一家注孫子》

【計・始計】引にしてこれを労し

卑而驕之、引而勞之、(以利勞之。
 訳 卑にしてこれを驕せ(おごらせ)、引にしてこれを労し、

※御覧注=利を以てこれを労す。

 意訳 卑屈であればこれをおごり高ぶらせ、安全な地へ引き退けばこれを疲労させる。

※御覧注=利益で惑わす・有利に思わせる・私利を植えつけるなどして相手を消耗・疲労させる。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、以利勞之)《十一家注孫子》

この「引而勞之」の一節は十一家注(十家注)本、武経本のどちらにもありません。

銀雀山漢墓の竹簡孫子では「卑而驕之、引而勞之、親而離之、佚而勞之、」の文字が無く、【欠損部】而撓之攻其【欠損部】備出其【欠損部】となっています。

御覧が「引而勞之」をどこから引いたのかは不明です。

【計・始計】佚にしてこれを労し

親而離之、佚而勞之、(以利勞之。
 訳 親にしてこれを離し、佚にしてこれを労し、

※御覧注=利を以てこれを労す。

 意訳 親密であればこれを離間させ、安楽であればこれを疲労させる。

※御覧注=利益で惑わす・有利に思わせる・私利を植えつけるなどして相手を消耗・疲労させる。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、以利勞之)《十一家注孫子》

【計・始計】その無備を攻め其の不意に出る

攻其無備、出其不意、(擊其懈怠空虛也。
 訳 その無備を攻め、その不意に出る、

※御覧注=その懈怠(けたい、かいたい)と空虚を撃つものなり。

 意訳 準備不足な部分を攻め、相手の考え及ばない不意を突く。

※御覧注=準備不足な怠り(おこたり、なまけぶり)を咎め(とがめ)、相手の考えつかない空虚を撃つもの。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、擊其懈怠、出其空虛也。)《十一家注孫子》

【計・始計】あらかじめ伝うべからざるなり

此兵之勝、不可豫傳。(傳、泄也。
 訳 これ兵の勝、予め(あらかじめ)伝うべからざるなり。

※御覧注=伝は、泄(漏れ)なり。

 意訳 このようなことが兵(軍事)の勝利であり、あらかじめ先に伝えることはできない事柄なのです。

※御覧注=伝えることが出来ないということは、情報がもれるからである。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、傳、猶洩也。)《十一家注孫子》

御覧の孫子1【謀攻篇】の部分

【謀攻】国を全うするを上と為し

又曰、凡用兵之法、全國為上、破國次之。(夫興兵深入長驅、敵舉國來服為上、次、兵擊破得之為次。
 訳 また曰く、およそ用兵の法は、国を全う(まっとう)するを上と為し、国を破るをこの次とす。

※御覧注=それ兵を興して長駆して深く入るとき、敵の国を挙げて来たるを服すを上と為し、次いで、兵を撃破してこれを得るを次と為す。

 意訳 またこのようにも曰く、およそ用兵の方法というものは、(見方の被害を出すことなく)敵国をまるごと服従させて飲み込むことを最上として、国と戦って破ることを次善とする。

※御覧注=これは出征して敵国の深いところへ侵入するとき、敵国の軍をまとめて服従させることが最上で、撃破して国を得ることは次善とする、ということ。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、興師深入長驅、距其城郭、絶其内外、敵舉國來服為上。以兵擊破、敗而得之、其次也。)《十一家注孫子》

李筌はここでも《史記・淮陰侯列伝》にある、韓信が魏豹を虜にするエピソードをあげています。

【謀攻】軍を破るを上と為し

全軍為上、破軍次之。(軍四千人。
 訳 軍を全う(まっとう)するを上と為し、軍を破るをこの次とす。

※御覧注=軍は四千人。

 意訳 (見方の被害を出すことなく)敵軍をまるごと飲み込むことを最上として、敵軍と戦って破ることを次善とする。

※御覧注=ここでいう軍とは4000人規模の集団のこと。

 古典ぱんメモ  曹操(魏武)と杜牧は、《司馬法》を引き合いに出し、ここでの軍を12500人と解釈しています。《周礼・夏官・序官》では周代の一軍は12500人と伝えています。

【謀攻】卒を全うするを上と為し

全卒為上、破卒次之。(上一千人、下五百人。
 訳 卒を全う(まっとう)するを上と為し、卒を破るをこの次とす。

※御覧注=上は一千人、下は五百人。

 意訳 (味方の被害を出すことなく)敵部隊をまるごと飲み込むことを最上として、敵部隊と戦って破ることを次善とする。

※御覧注=卒というのは1000~500人規模の部隊のこと。

 古典ぱんメモ  曹操(魏武)は旅(旅団)を500人として、卒を100人程度としています。李筌は卒を100人以上、杜佑《通典》は卒を100人程度としています。

【謀攻】伍を全うするを上と為し

全伍為上、破伍次之。(百人至五人也。
 訳 伍を全う(まっとう)するを上と為し、伍を破るをこの次とす。

※御覧注=百人から五人に至るものなり。

 意訳 (見方の被害を出すことなく)敵小隊をまるごと飲み込むことを最上として、敵小隊と戦って破ることを次善とする。

※御覧注=伍というのは100~5人規模の小部隊のこと。

 古典ぱんメモ  曹操(魏武)と李筌は伍を100~5人としています。杜牧は伍を5人としています。

【謀攻】百戦百勝は善の善なるものにあらず

是故百戰百勝、非善之善。不戰而屈人之兵者、善之善者也。(夫不戰而敵自屈服、上、兵代謀、敵始有謀、代之易也。
 訳 これゆえ百戦百勝は、善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり。

※御覧注=それ戦わずして敵を自らに屈服せしめん、上は、兵を謀に代える、敵の始に謀あらば、これを代えるに易きことなり。

※御覧注=【代→伐とした場合】それ戦わずして敵を自らに屈服せしめん、上兵は謀を伐つ、敵の始に謀あらば、これを伐つに易きことなり。

 意訳 ですので百戦して百勝したとしても、それは最善なものとはいえないのです。戦わずして他人の兵を屈服させることが、最善なのです。

※御覧注=戦わずして敵を屈服させるということについて、(上兵は謀を伐つ、と別句にあるように)軍事の前段階の「謀略」におきかえて考えた場合、事前に敵の謀が露見していれば、謀略を狙い打ちに出来て、軍事を行う前に屈服させることもできる。

※御覧注=【代→伐とした場合】戦わずして敵を屈服させるということについて、うまい軍事とは早い段階で謀略を破ることであり、あらかじめ敵の謀略を露見できれば、敵を戦う前に破ることは容易である。

 古典ぱんメモ  注釈部の「上兵代謀」の「代」字は、十一家注(十家注)本と武経本では「伐」となっています。竹簡孫子では欠損部です。ここでは代パターンと伐パターンの両方の訳を記しておきます。

【謀攻】十なればこれを囲み

又曰、故用兵之法、十則圍之、(以十敵一則圍之、是為智、等而兵利釣而客勁操、所以倍兵圍下邳而生擒呂布也。
 訳 また曰く、ゆえに用兵の法は、十なればこれを囲み、

※御覧注=十を以て一と敵するとき則ち(すなわち)これを囲む、これを智と為す、兵等しくして操(曹操)は勁き(つよき)客を利で釣り、兵を倍し下邳に囲みて呂布を生け擒りにせし所以なり。

 意訳 またこのようにも曰く、ですから用兵の方法とは、味方の力が10であるとき、敵を包囲します。

※御覧注=10で1と敵対するときは包囲する、このようなものが智と言える、曹操は兵の質が同じであれば利で敵を釣り、倍の兵力で下邳城を包囲して呂布を生け捕りにしたのは、このような理屈。

 古典ぱんメモ  注釈の曹操が呂布を攻略したエピソードは、曹操自らの注釈で引き合いに出しているご自慢のエピソードです。御覧もそれを採用しているかたちです。

【謀攻】倍なればこれを分け

倍則分之、(以二敵一、二則為當一、術為奇。
 訳 倍なればこれを分け、

※御覧注=二を以て一と敵するとき、二をすなわち一に当てると為し(二をすなわちまさに一と為すべくして)、術をして奇と為す。

 意訳 味方が敵の2倍であれば、分けて挟み撃ちにする。

※御覧注=2の味方で1と敵対するとき、2を分けて1に当てて挟み撃ちの形にし、牽制しながら奇法でとどめをさす。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、以二敵一、則一術為正、一術為奇。)二を以て一と敵するとき、すなわち一術を正とし、(もうひとつの)一術を奇とす。《十一家注孫子》

【謀攻】敵なれば能く戦い

敵則能戰、(已為士眾等差者、猶設奇伏以勝之也。
 訳 敵なれば能く戦い、

※御覧注=すでに士衆の差が等しいと為せば、なおも奇を設け伏せるを以てこれに勝つなり。

 意訳 敵味方の戦力が匹敵(互角)する場合は工夫して戦います。

※御覧注=敵味方の兵卒の力が互角であれば、工夫して奇法をこらし伏兵をつかうなどしてこれに勝つ。

 教養 ※士衆=ししゅう。一般戦闘員、兵卒、兵士達のこと。語出《春秋谷梁伝・昭公八年》《孔子家語・相鲁》《三國志・孫破虏討逆伝》《三國志・法正伝》など。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、己與敵人眾等、善者猶當設伏奇以勝之。)《十一家注孫子》

【謀攻】少なれば能く逃げ

少則能逃、(高壁壘勿與敵戰也。
 訳 少なれば能く逃げ、

※御覧注=壁と塁高ければ敵と戦うことなかれ。

 意訳 味方が少なければ工夫して逃げます。

※御覧注=敵の城壁や砦の守りが手厚いのであれば、まともに戦うべきではない。

 教養 ※壁壘=壁塁。へきるい。壁と塁(とりで)。城壁や砦の垣根や要塞のこと。または壁に堀や壕を含めた防御システムを総合したものを指す。語出《六韬・王翼》《史記・黥布列伝》《新唐書・叛臣伝上・李怀光》

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、高壁壘勿與敵戰也。)《十一家注孫子》

【謀攻】若かざればすなわち能くこれを避け

不若則能避之、(引兵避之。
 訳 若かざれば(しかざれば)すなわち能くこれを避け、

※御覧注=兵を引きてこれを避く。

 意訳 戦力が及ばない劣勢の状態であれば、工夫して戦いを避けます。

※御覧注=退却して避ける。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、引兵避之也。)《十一家注孫子》

【謀攻】小敵の堅は大敵の擒なり

故小敵之堅、大敵之擒也。(小不能當大也。
 訳 ゆえに小敵の堅は、大敵の擒なり

※御覧注=小にて大にあたるあたわざるなり。

 意訳 ですから小勢・劣勢で無理に頑張るということは、大勢・優勢の相手のとりこになる行動なのです。

※御覧注=だから小で大にあたることはできない。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、小不能當大也。)《十一家注孫子》

御覧の孫子1【勢篇・兵勢篇】の部分

【勢・兵勢】衆を寡の如く治むるは分数これなり

又曰、凡治眾如治寡、分數是也。(部曲為分、什伍為數也。
 訳 また曰く、およそ衆を治むること寡を治むるが如くなるは、分數これなり。

※御覧注=部曲を分けると為し、什伍を数る(はかる)と為すなり。

 意訳 またこのようにも曰く、大勢を小勢のようにまとまりよく統治するには、大勢を細分化して小勢を各個に整えて鍛えることです。

※御覧注=部隊を細分化して、小隊を適切に整えて鍛える。

 教養 ※分数=ぶんすう。杜牧曰く、分は分別、数は人数。孟氏曰く、分は隊伍、数は大数。張預曰く、まず細分化して整えてからまとめる。それぞれの小勢が整っていれば、それが百万人あつまっても円滑に動かすことができる。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、部曲為分、什伍為數。)《十一家注孫子》

【勢・兵勢】衆を少の如く斗わしむるは形名これなり

斗眾如斗少、形名是也。(旌旗曰形、金鼓曰名。
 訳 衆を斗(闘)わしむること少を斗(闘)わしむるが如くなるは、形名これなり。

※御覧注=旌旗を形と曰い、金鼓を名と曰う。

 意訳 大勢を小勢のようにまとまりよく統率するには、目で見える旗や、耳に聞こえる鳴り物で指図します。

※御覧注=形とは旌旗(軍旗)のことで、名は金鼓(ドラと太鼓)のことをさす。

 教養 ※形名=けいめい。旗と鳴り物のこと。目に見やすい旗で指示し、耳に聞こえやすい鳴り物で指示を出せば、あらゆる状況下でもしっかりと統率できる(張預の注)

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、旌旗曰形、金鼓曰名。)《十一家注孫子》

【勢・兵勢】敵に受えて無敗たらしむべきものは奇正これなり

三軍之眾可使必受敵而無敗者、奇正是也。(先出合戰為當、后出為奇也。
 訳 三軍の衆、必ず敵に受えて(こたえて)敗なからしむべきものは、奇正これなり。

※御覧注=先に出て合戦に当ると為せば、后(後)に出るを奇と為すなり。

 意訳 全軍、ことごとく全ての敵とまともに戦って負けが無いのは、奇正の変化を極めているからです。

※御覧注=敵の正面で本体が戦うとき、別働隊を後ろに出すことが(うまく不意をつくことができれば)奇法。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、先出合戰為正、後出為奇。)《十一家注孫子》

【勢・兵勢】瑕を以て卵に投ずるが如くなるは虚実これなり

兵之所加、如以瑕投卵者、虛實是也。(以實擊虛也。
 訳 兵の加うる所、瑕(石)を以て卵に投ずるが如くなるは、虚実これなり。

※御覧注=実を以て虚を撃つなり。

 意訳 兵力を投入するとき、硬い石をやわらかい卵に投げつけて割るように簡単に勝つには、充実した力で空虚・もろい所にあたることです。

※御覧注=充実で空虚を撃つ。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、以至實擊至虛也。)《十一家注孫子》

【勢・兵勢】善く敵を動かすもの

又曰、故善動敵者、形之、敵必從之、(見羸形也。
 訳 また曰く、ゆえに善く敵を動かすものは、これに形せば(あらわせば)、敵は必ずこれに従い、

※御覧注=羸き(よわき)形を見せるなり。

 意訳 またこのようにも曰く、ですから上手く敵を誘導するものは、敵が誘いに乗るような情報をわざと示せば、敵を必ずこれに誘導させることができるのです。

※御覧注=弱点のようなものを晒してエサとする。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、見羸形也。)《十一家注孫子》

【勢・兵勢】利を以てこれを動かし

與之、敵必取之。以利動之、以卒待之。(以利害動敵也。
 訳 これに与うれば(あたうれば)、敵は必ずこれを取る。利を以てこれを動かし、卒を以てこれを待つ。

※御覧注=利害を以て敵を動かすものなり。

 意訳 エサを与えれば敵はこれを取ります。利益をちらつかせて敵を誘導し、兵卒を整えてこれを迎え撃つのです。

※御覧注=利害をうまく操作して敵を誘導するものである。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、以利動敵也。)《十一家注孫子》

【勢・兵勢】善く戦うものはこれを勢に求めて

故善戰者、求之於勢、(專在權也。
 訳 ゆえに善く戦うものは、これを勢に求めて、

※御覧注=専(ほしいまま)にするは権にあるなり。

 意訳 ですから上手く戦う者は、これを形勢・大勢の力を頼みとします。

※御覧注=思い通りに敵を動かすには権、権謀術数、はかりごとで行う。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、求之於勢者、專在權也、不責於人者、權變明也。)《十一家注孫子》

【勢・兵勢】人に責めず

不責於人、故能擇人而任勢。(以勢者權變明也。
 訳 人に責めず(もとめず)、ゆえによく人を択びて(えらびて)勢に任ぜしむ。

※御覧注=以て勢と権変を明らかにするものなり。

 意訳 個人の力に頼らず、ですから適切な人物をあてる努力をしながら、主軸は形勢・大勢の力を頼みとします。

※御覧注=これらは勢と状況変化に対応することの大切さを明らかにしたものである。

 教養 ※權變=権変。けんへん。状況変化をよく読み、それに上手く対応できること、または人。語出《史記・張儀列伝贊》《史記・貨殖列伝》《文子または通玄真経・道徳》。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、求之於勢者、專在權也、不責於人者、權變明也。)《十一家注孫子》

【勢・兵勢】人を戦わしむるや木石を転ずるが如し

任勢者、其戰人也如轉木石、木石之性、安則靜、危則動、方則止、員則行。(任勢自然。
 訳 勢に任ずるものは、その人を戦わしむるや木石を転ずるが如し、木石の性、安なればすなわち静かにし、危なればすなわち動き、方なればすなわち止まり、員(円)なればすなわち行く。

※御覧注=自然の勢に任す。

 意訳 形勢・大勢を頼みにすると言う事は、部下を戦わせるとき木石を転がすようにします、それはつまり、木石(兵士)を安定したところにおけば静かで、傾きがあって不安定なところにおけば動き、すみっこにおけば止まり、まるいところにおけば行きます。

※御覧注=兵士を自然にうごくような態勢におくこと。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、任自然勢也。)《十一家注孫子》

【勢・兵勢】萬仞の山に転がすが如く

故善戰人之勢如轉圓石於萬仞之山者、勢也。
 訳 ゆえに善く人を戦わしむるの勢、円石を萬仞の山に転がすが如くなるものは、勢なり。

※御覧注=なし

 意訳 ですから上手く戦わせるための形勢・大勢とは、石ころ(兵士)をすごく高いところから転がすような形勢・大勢におくことです。

※御覧注=なし

 教養 ※萬仞の山=まんじんのやま。仞は長さの単位。すごーく高い山という意味。

《説文解字》によれば仞は八尺で、新代《新莽嘉量》の一尺は23.09cmほど、八尺=一仞なら184.72cm。三国時代の魏尺《正始弩尺》の一尺は24.30cmほど、八尺=一仞なら194.4cmほど。10000仞であれば前者は230900cm=約23.09km、後者は243000cm=約24.3km。この高さはすでに成層圏に達しており、言うまでも無く地球上にそのような山は存在しません。ですのでここでは高さを真面目にとらえずに「すごーく高いところ」という解釈をするのが妥当であります。

萬仞の部分。(銀雀山漢墓の竹簡孫子では該当部分は欠損していて不明。)十一家注本(十家注)と武経本の孫子、両者とも「千仞の山」となっていて、1000仞=2309mまたは2430mに該当し、これらの山なら存在します。例え話をしているのに、生々しいのもアレなので《御覧》では突き抜けて萬仞とした、または萬仞とした書から引用したのかも知れませんね。千仞を萬仞と変えた経緯について想像を膨らませてみるのもロマンがあって面白いです。

ちなみに萬仞という熟語は《旧唐書・王勃伝》「孤峰絕岸、壁立萬仞。」(孤峰の絕岸、壁、萬仞に立つ。)という「単独峰の絶壁の迫力」を表現する使われ方をしています。

御覧の孫子1【虚実篇】の部分

【虚実】先に戦地に拠りて敵を待つものは佚し

又曰、凡先據戰地而待敵者佚、(有余力地。
 訳 また曰く、およそ先に戦地に拠りて敵を待つものは佚し、

※御覧注=余りある力の地。

 意訳 またこのようにも曰く、先に戦地に拠点をかまえて敵を待ち受ければ楽です。

※御覧注=被害も無く、力に余裕が有る地勢。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)と李筌の注を引いたものです。(曹操、李筌並曰、力有也餘。)《十一家注孫子》

【虚実】人を致して人に致されず

后據戰地而趍戰者勞、故善戰者致人而不致於人。能使敵人自至者、利之也。(誘之以利。
 訳 後に戦地に拠りて戦いに趍く(おもむく)ものは労す、ゆえに善く戦うものは人を致して人に致されず。よく敵人をして自ら至らしむるものは、これを利すればなり。

※御覧注=これを誘うに利を以てす。

 意訳 あとから戦地にやってきて、戦いをはじめようとすれば疲労します、ですから上手く戦う方法は、人をコントロールして人にコントロールされないことです。よく敵を自分に向かわせるようにする方法とは、利で誘うことです。

※御覧注=うまく誘うには利をつかう。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、誘之以利也。)《十一家注孫子》

【虚実】敵人をして至るを得ざらしむものは

能使敵人不得至者、害之也。(出兵所必趣、攻兵所必救。
 訳 よく敵人をして至るを得ざらしむものは、これを害すればなり。

※御覧注=兵の出ず(いず)ところに必ず趣き(おもむき)、兵の攻めるところを必ず救う。

 意訳 敵をこちらに向かわせないようにする方法は、相手の害になるようなものを相手に示すことです。

※御覧注=敵が出没するところに必ず向かい、敵が攻めるところを必ず救援する。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、出兵所必趨、攻兵所必救。)《十一家注孫子》

【虚実】敵が佚なればよくこれを労し

故敵佚能勞之、(以利煩之。
 訳 ゆえに敵が佚なればよくこれを労し、

※御覧注=利を以てこれを煩わす(わずらわす)。

 意訳 ですから敵が安楽な状態であれば、工夫してこれを疲弊させることができます。

※御覧注=利で誘って敵を悩ます。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、以事煩之。)《十一家注孫子》

【虚実】飽なればよくこれを饑し

飽能饑之、(絕其糧道。
 訳 飽なればよくこれを饑し、

※御覧注=その糧道を絶つ。

 意訳 飽和していれば、工夫してこれを餓えさせる事ができます。

※御覧注=その補給路を絶って食糧流通を止める。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)と李筌の注を引いたものです。(曹操曰、絕糧道以饑之。)(李筌曰、~~絕其糧道。)《十一家注孫子》

【虚実】安なればよくこれを動かし

安能動之、出其所必趨也。(使敵必。
 訳 安なればよくこれを動かし、その趨く(おもむく)ところに必ず出でる(いでる)なり。

※御覧注=敵を必ずせしむ。

 意訳 安定していれば、工夫してこれを動かす事ができ、敵の思惑・向かうところによく対応できます。

※御覧注=これらを行えば敵をことごとくコントロールできる。

【虚実】兵に常勢なく水に常形なし

又曰、兵形象水、水之行、避高而就下、兵之形、避實而擊虛。故水因地而制形、兵因敵而制勝。故兵無常勢、水無常形、能與敵變化而取勝者、謂之神。(勢盛必衰、形露必敗、能因敵變化勝之、若神。
 訳 また曰く、兵の形は水に象られ(かたちどられ)、水の行は、高きを避けて下き(ひくき)に就く、兵の形は、実を避けて虚を撃つ。ゆえに水は地に因りて形を制し、兵は敵に因りて勝を制す。ゆえに兵に常勢なく、水に常形なし、よく敵に変化を与えて勝を取るものは、これを神という。

※御覧注=勢の盛り(さかり)は必ず衰え、形を露(あらわ)にすれば必ず敗れる、よく敵に因りて変化してこれに勝つは、神のごとし。

 意訳 またこのようにも曰く、兵の形は水の性質にかたちどられます。水の性質は高いところから低いところへ流れ、兵の性質は充実した敵を避けて、敵の空虚な部分を撃つものです。ですから水は地形によって形を変化させ、兵は敵情に対応して勝利を制すのです。そのようなわけで兵に固定された形勢というものを当てはめることができず、水に固定した形というものは無いのです。上手く敵に対応して勝利をおさめる者は、まさしく神業のような所業です。

※御覧注=よい情勢を永久に維持することは出来ず、一度でも形が露見してしまえば簡単に敗れもします。そのような中で敵に上手く対応して勝つということは、神業のようなものです。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、勢盛必衰、形露必敗、故能因敵變化、取勝若神。)《十一家注孫子》

【虚実】五行に常勝なく

故五行無常勝、四時無常位、日有長短、月有死生。(兵無常勢、盈縮隨敵也。
 訳 ゆえに五行に常勝なく、四時に常位なく、日に長短あり、月に死生あり。

※御覧注=兵に常勢なきは、敵の盈縮にしたがうものなり。

五行相克・五行相生

 意訳 ですから五行(木・火・土・金・水)に一人勝ちするエレメントはなく、四季は常に推移しており、日照時間は変移し、月の満ち欠けが遷移しているのです。

※御覧注=兵に常勢はなく、敵の盈縮(盛衰の変化)に対応して動くようなことをさす。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、兵無常勢、盈縮隨敵。)《十一家注孫子》

御覧の孫子1【軍争篇】の部分

【軍争】謀を知らざれば交わることあたわず

又曰、故不知諸侯之謀者、不能豫交、(不知敵情謀者不能結交也。
 訳 また曰く、ゆえに諸侯の謀を知らざるものは、豫め(あらかじめ)交わることあたわず、

※御覧注=敵情と謀を知らざるものは結びて交わることあたわざるなり。

 意訳 またこのようにも曰く、ですから他の勢力の謀略を把握しているのでなければ、腹を割って交わることなどできないのです。

※御覧注=敵情や謀略などの相手の意図を把握しているのでなければ、結束して交わることは出来ない。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、不知敵情諜者、不能結交也。)《十一家注孫子》

【軍争】山・林・険・阻・沮・澤

不知山林險阻沮澤之形者、不能行軍、(高而崇者為山、樹木所聚者為林、坑堆者為險、一高一下為阻、水草漸洳為沮、泉水所歸不流者為澤也。
 訳 山林、険阻、沮沢の形を知らざるものは、軍を行かすことあたわず、

※御覧注=高くして崇ぶ(たっとぶ)ものを山と為し、樹木の聚まる(あつまる)ところのものを林と為し、坑(あな)と堆き(うずたかき)ものを険と為し、一高一下(凸凹)を阻と為し、水草漸洳を沮と為し、泉の水の帰り流れざるものの所を澤と為すなり。

 意訳 山林、険阻、沼沢の地形特性を知らないのでは、軍を進ませることはできません。

※御覧注=高さのある場所を山、樹木などが密集している場所を林、凸凹して進みにくい場所を険と阻、じゅくじゅく湿った沼地のような場所を沮、水が一定の方向にしか流れない傾斜と行動制限をうけるような場所を澤とよぶ。

 教養 ※一高一下=あるときには高く、あるときには低く、一定していない様子、転じて凸凹しているさま。語出《管子・輕重乙》桓公問於管子曰、「衡有數乎?」管子對曰、「衡無數也。衡者使物一高一下、不得常固。」

【訳】桓公は管子に問うて曰く、「衡を数る(はかる)ことありや?」管子こたえて曰く、「衡を数る(はかる)こと無きなり。衡とは物を一高一下せしめ、常に固めること得ざらず。」

【意訳】桓公の質問「需要と供給のバランスを定めることはできようか?」管子の答え「需要と供給のバランスを定めることはできません。需要と供給とは、物の価値や数量を常に一高一下させるもの。その時その時の情況に対応させなくてはならない事柄なので固定することができないのです。」

※漸洳=ぜんじょ。湿地、泥沼のこと。語出《六韜・戦騎》(漢)劉向《列女伝・魯漆室女》(三國・魏)曹丕《愁霖賦》。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、高而崇者為山、衆樹所聚者為林、坑壍者為險、一高一下為阻、水草漸洳為沮、衆水所歸而不流者為澤。~~)《十一家注孫子》

【軍争】分合を以て変を為す

不用鄉導者、不能得地利。故兵以詐立、以利動、以分合為變者也。(兵一分一合、此敵為變。
 訳 郷導を用いざるものは、地の利を得ることあたわず。ゆえに兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為すものなり。

※御覧注=兵の一分一合、これに敵の変を為す。

 意訳 その土地に詳しい案内人を雇用しなければ地の利を把握することは出来ません。ですから兵は詐術を基本に作戦を立て、情況に応じて動き、機敏に部隊を変化させるものです。

※御覧注=兵の機敏な変化によって、敵の変化をうながす。

 教養 ※郷導=きょうどう。雇用した村の案内人のこと。周辺の土地勘がある案内人。語出《孫子・軍争篇》《晋書・劉琨伝》(唐)陳子昂《為金吾将軍陳令英請免官表》。※分合=ぶんごう。分割と併合。部隊を分けたり合わせたり。※一分一合=あるときには分けたり、あるときには合わせたり。軍を変幻自在にあやつるさま。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、兵一分一合、此敵為變也。)《十一家注孫子》

【軍争】疾きこと風の如く

故兵疾如風、(擊虛空也。
 訳 ゆえに兵の疾きこと風の如く、

※御覧注=虚と空を撃つものなり。

 意訳 ですから兵を素早く行動させるなら風のように動き、

※御覧注=素早く敵のスキを突いて撃破する。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、擊虛空也。)《十一家注孫子》

【軍争】徐かなること林の如く

徐如林、(不見利也。
 訳 徐か(しずか)なること林の如く、

※御覧注=利を見せざるものなり。

 意訳 相手に情報を与えないようにするなら林のように静かにし、

※御覧注=相手に情報を与えないこと。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、不見利也。)《十一家注孫子》

【軍争】侵掠すること火の如く

侵掠如火、(疾如火也。
 訳 侵掠すること火の如く、

※御覧注=疾きこと火の如きなり。

 意訳 進攻して素早く敵領土を獲得するなら火のように動き、

※御覧注=火のようにすばやく。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、疾也。)《十一家注孫子》

 教養 ※侵掠=しんりゃく。侵略。侵犯して領土を掠め取ること。語出《春秋左伝・襄公十一年》《漢書・匈奴伝贊》(唐)韓愈《論淮西事宜状》または進攻のこと。語出《孫子・軍争篇》(宋)王禹偁《故商州團練使翟公墓志銘》。

【軍争】動かざること山の如く

不動如山、(守山。
 訳 動かざること山の如く、

※御覧注=山の守り。

 意訳 どっしりとした守備を展開するなら山のように重厚に構え、

※御覧注=山のような守備。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、守也。)《十一家注孫子》

【軍争】知り難きこと陰の如く

難知如陰、(似天陰不見外宿也。
 訳 知り難きこと陰の如く、

※御覧注=天の陰を以て外に宿を見せざるものなり。

 意訳 情報をつかませないようにするには陰に隠れるようにし、

※御覧注=日陰に隠して外に宿をみせないようにして、内情を隠す。

【軍争】動くこと雷霆の如し

動如雷霆。
 訳 動くこと雷霆の如し。

※御覧注=なし

 意訳 素早く行動するには雷光のように動くのです。

※御覧注=なし

 教養 ※雷霆=らいてい。かみなりのこと。雷が光るさま、雷が鳴るさま。語出《易・系辞上》鼓之以雷霆、潤之以風雨。【訳】雷霆を以てこれを鼓し、風雨を以てこれを潤す。

 古典ぱんメモ  十一家(十家)注本と武経本では雷震。

【軍争】将軍には心を奪うべし

又曰、夜戰多火鼓、晝戰多旌旗、所以變人之耳目也。故三軍可奪氣、將軍可奪心。(左氏言、一鼓作氣、再而衰、三而謁也。
 訳 また曰く、夜戦に火鼓多く、昼戦に旌旗多きは、人の耳目の変たる所以なり。ゆえに三軍には気を奪うべく、将軍には心を奪うべし。

※御覧注=左伝に言う、一鼓すれば気は作き(うごき)、再びすれば而して衰え、三たびすれば而して謁く(竭、尽きる)なり。

 意訳 またこのようにも曰く、夜戦ではかがり火や鳴り物が多く使われ、昼戦では軍旗が多く使われる理由は、人は昼は目がきくので旗を使い、夜は視界が狭まるので火を使い、耳で聞くことが出来るように鳴り物を使うのです。このような観点で言えば、敵軍の気を奪うことができ、敵将の心を奪うことが出来るのです。

※御覧注=《左伝・庄公十年》にいう、太鼓をひとつ叩けば兵士の気力を奮い立たせることができ、ふたたび叩けば気力は衰え、さらにたたけば気力は尽きる。つまり長く戦えば疲れが出る。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、左氏言、一鼓作氣、再而衰、三而謁。)《十一家注孫子》

【軍争】鋭気を避けて惰帰を撃つ

是故朝氣銳、晝氣惰、暮氣歸。故善用兵者、避其銳氣、擊其惰歸、此治氣者也。以治待亂、以靜待嘩。此治心者也。以近待遠、以佚待勞、以飽待饑、此治力者也。無邀正正之旗、無擊堂堂之陣、此治變者也。(正正高齊、堂堂者大。
 訳 これゆえ朝の気は鋭、昼の気は惰、暮れの気は帰、その鋭気を避け、その惰帰を撃つ、これ気を治むるものなり。治を以て乱を待ち、静を以て嘩を待つ。これ心を治むるものなり。近きを以て遠きを待ち、佚を以て労を待ち、飽を以て饑を待つ、これ力を治むるものなり。正正の旗を邀うる(むかうる)こと無く、堂堂の陣を撃つこと無し、これ変を治むるものなり。

※御覧注=正正は高く齊え(ととのえ)、堂堂は大なるものなり。

 意訳 このため朝は元気で、昼はおこたり、夕方には気力が尽きます。効率のよいやりかたは、その元気なうちは避けて、疲れがみえてから撃つものです。これは気の特性を把握したやり方です。よく治められた状態で乱れた相手を受け、冷静な状態でやかましい相手を受ける。これは心の特性を把握したやり方です。近い戦場に早く着き遠くから来る敵を受け、安楽な状態で疲労した敵を受け、満腹な状態で餓えた敵を受ける、これは力の特性を把握したやり方です。良く態勢が整備された敵とは当らず、充実した敵とは正面から戦わない。これは変化の特性を把握したやり方です。

※御覧注=正正は高い水準に整っていること、堂堂は大いに充実していること。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、正正、齊也、堂堂、大也。)《十一家注孫子》

【軍争】帰師をさえぎること勿れ

又曰、用兵之法、高陵勿向、倍丘勿迎、丘阪勿迎、佯北勿從、銳卒勿攻、餌兵勿食、歸師勿遏、(懷歸故能死戰、不可擊也。
 訳 また曰く、用兵の法は、高陵に向かうこと勿れ(なかれ)、倍(背)丘に迎うること勿れ、丘阪に迎うること勿れ、佯北に従うこと勿れ、鋭卒を攻むること勿れ、餌兵を食らうこと勿れ、帰師を遏る(さえぎる)こと勿れ、

※御覧注=帰を懐かしむゆえに能く死して戦い、撃つべからざるものなり。

 意訳 またこのようにも曰く、用兵の方法は、高いところにいる敵には向かわず、丘を背にしている敵は迎撃せず、丘から降りてくる敵は迎撃せず、負けを偽る敵の誘いに従わず、鋭気充分な敵を攻めず、エサにつられることなく、帰途に着く敵軍をさえぎることはしないものです。

※御覧注=帰途に着く軍は、国を懐かしみ、これを攻めれば必死の抵抗を受けるので、撃つことはできない。

 教養 ※佯北=しょうほく。敗北を佯る(いつわる)こと、敗北を偽装すること。語出《孫子・軍争篇》(明)徐渭《策》。

 古典ぱんメモ  「倍丘勿迎」は竹簡孫子では「倍丘勿迎」、十一家(十家)注本と武経本では「背丘勿逆」。「丘阪勿迎」の一節はこれらにはなく、どこから引いたものかは不明です。

【軍争】囲師とはたたかうこと勿れ

圍師勿斗、(司馬法曰、兵三面、開其一面、示生路也。若敵專陸地必空一面以示其虛、欲使戰守不周也。
 訳 囲師とは斗(闘)うこと勿れ、

※御覧注=司馬法に曰く、兵を三面に、その一面を開き、生ける路を示すものなり。もし敵の陸地を専(ほしいまま)にするとき必ず空(くう)一面を以てその虚を示し、戦わせしむらんと欲せば周を守らざるものなり。

 意訳 包囲した敵軍とは闘わず、

※御覧注=司馬法に曰く、四方のうち三面に兵を配置して、そのうち一面を開けておき、敵に逃げ道を示す。もし敵領土を得たいと思えば、必ずひとつの隙をエサにして誘い、敵が味方に向かってくるように仕向けたい場合には、味方の周囲をわざと手薄にして誘い出すものである。

 古典ぱんメモ  「圍師勿斗」は竹簡孫子では「圍師遺闕(囲師には欠を遺す)」、十一家(十家)注本と武経本では「圍師必闕(囲師には必ず欠く)」、櫻田景迪《古文孫子》では「圍師勿周(囲師にはちかづくことなかれ)」。いずれも大意は同じものです。

【軍争】これ用兵の法なり

此用兵之法也。
 訳 これ用兵の法なり。

※御覧注=なし

 意訳 これらのようなことが上手い用兵のやり方です。

※御覧注=なし

 古典ぱんメモ  十一家の注釈もなし。

御覧の孫子1【九地篇】の部分

【九地】常山之蛇(恒山之蛇)

又曰、故善用兵、譬如帥然、帥然者、常山之蛇也。擊其首則尾至、擊其尾則首至、擊其中則首尾俱至。
 訳 また曰く、ゆえに善く兵を用うるは、譬えば(たとえば)帥然の如し、帥然とは、常山の蛇なり。その首を撃てばすなわち尾が至り、その尾を撃てばすなわち首が至り、その中を撃てばすなわち首と尾ともに至る。

※御覧注=なし

 意訳 上手い用兵とは、素早く急激に動くが如し、この特性は常山(恒山)の蛇に通じます。一方を撃てば他の部位が襲い、まんなかを撃てば他の二方が襲ってくるのです。

※御覧注=なし

 教養 ※帥然=軍が突然に動作するさま。語出《管子・輕重甲》。十一家本では「率然」で張預の注によれば率は速いの意味。つまり素早い様子とも解釈できます。

※常山之蛇(常山蛇)=一方を叩くと他の部位が襲ってくる常山の蛇、古代の伝説。語出《孫子・九地篇》《晋書・桓温伝》。また、この伝説に由来するとされる「常山棍法」という三節棍の武術があります。

銀雀山漢墓の竹簡孫子では「故善用軍者辟如衛然者恒山之【欠損部】」となっていて、「辟如衛然者恒山之蛇」であろうということが予測できます。辟の字は譬に通じます。恒山は道教の五岳のひとつ。皇帝名の忌諱によって恒山を常山と変えて表記したものであると解釈されています。これを考慮すると、つまり常山はいわゆる常山ではなく恒山のことを指しています。

【訳】辟えば(たとえば)衛然(護衛)の如くするものは、恒山の(蛇)。

【九地】踐墨して敵に循いて

又曰、踐墨循敵、以決戰事。(行踐規矩無常者也。
 訳 また曰く、踐墨して敵に循いて(したがいて)、以て戦事を決する。

※御覧注=行踐に常なる規矩は無きものなり。(御覧が曹操注を採用したもの)

 意訳 またこのようにも曰く、一定の規則にこだわらず、ときには敵の誘いに乗るなどして、決戦に及びます。

※御覧注=行動に一定のルールなどない。

※踐墨=賈林の注によれば剗墨のこと、剗は除くこと、墨は縄墨のこと。縄墨を規範と解して「規範を除く」「規範にこだわらない」と解釈できます。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、行踐規矩無常也。)《十一家注孫子》

【九地】始めは処女の如く後に脱兎の如く

是故始如處女、敵人開戶、後如脫兔、敵不及矩。(處女示弱、兔、往也。
 訳 これゆえ始めは処女の如くすれば、敵人は戸を開く、後に脱兎の如くすれば、敵は矩(さしがね)に及ばざるなり。

※御覧注=處女は弱きを示し、兔(うさぎ)は、往くものなり。(御覧が曹操と李筌の注を採用したもの)

 意訳 ですので始めに油断させれば、敵は警戒を緩め、その後に突如として撃てば、敵はこちらの行動についてくる事ができないのです。

※御覧注=行動に一定のルールなどない。

 古典ぱんメモ  この注釈は曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操、李筌曰、處女示弱、脱兔往疾也。)《十一家注孫子》

つづく

孫子と孫子注が引かれている《太平御覽・兵部三・將帥上》巻272 につづく

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