孟氏解孫子の孟氏の伝記と著書リスト(隋書・旧唐書・新唐書・郡齋讀書志)より

孟氏(もうし)の伝記と著書リストを紹介します。

孟氏は《孫子》と《老子》《荘子》に注釈をつけた人物です。

念のため言いますと、いわゆる儒家の孟子(孟軻)や詩人の孟浩然とは別の人物です。ここでいう孟氏はニッチでマイナーな方の孟氏です。

孟氏についての史料は極めて少なく《隋書》《旧唐書》《新唐書》の目録に書名が残されているのみです。孟氏の著書は宋代以降には散逸したと考えられていて、現代に伝わっていません。しかし孫子につけられた注釈だけは十一家(十家)注孫子に集注というかたちで収められており、現代にも伝わっています。

今回は上記3史書と孟氏の孫子注の記述から人物を探っていきます。

孟氏の伝記と著書リスト

孟氏の伝記と著書の目録は《隋書》《旧唐書》《新唐書》から求めることが出来ます。結論を言うと伝記の手がかりは無く、著書の目録のみに孫子注の孟氏の名を見ることが出来ます。

孟氏の伝記(おもに人違い)

 隋書 《隋書・経籍一・易》につぎのような記述があります。

梁丘、施氏、高氏、亡於西晉。孟氏、京氏、有書無師。梁、陳鄭玄、王弼二注、列於國學。

ここに孟氏という記述が見られるのですが、これは《周易》の孟氏を指していて、名前を孟喜といい漢代の人で、《周易孟氏章句》を著した人物です。つまり孫子注の孟氏とは別物になります。

 旧唐書 《旧唐書・列伝第六・ 羅藝》につぎのような記述があります。

羅藝字子延 【中略】 謂藝妻孟氏

ここにも孟氏という記述が見られるのですが、よく見てみると「藝妻の孟氏」すなわち羅藝の妻の孟夫人を指しています。こちらも別物になります。

 新唐書 《新唐書・藝文三・丙部子錄・道家類・釋氏》につぎのような記述があります。

道岳《三藏本疏》二十二卷、姓孟氏、河陽人、貞觀中。

三藏とは仏教の「経蔵・律蔵・論蔵」の三つの教えをさしていて、それを修めた法師を三蔵法師といいます。三蔵法師といえば《西遊記》の三蔵法師のモデルにもなった玄奘(俗世の名:陳褘、602年~664年)が有名ですが、この著書は三藏の学問について解説した書物で、玄奘とは直接関係の無い本です。本疏というのは解説や注釈のことで、道岳(568年~636年)というのは人名(仏教の道号)で俗世の姓が「孟氏」であることを示しています。

つまり、こちらも孫子注の孟氏とは別物になります。南北朝の《魏書》の孟氏も任城国太妃のことを指しており、これも別物です。

著書リスト

七賢傳 五巻 孟氏撰 《隋書・志・經籍二・雜傳
老子道德經 二巻 孟氏注 《隋書・志・經籍三・
集注莊子 六巻(孟氏注、録一巻。亡。) 《隋書・志・經籍三・
梁有孫子兵法 二巻 孟氏解詁 《隋書・志・經籍三・
孫子兵法 孟氏解 《旧唐書・志・經籍下・丙部子録・兵書類
孟氏解孫子 二巻 《新唐書・志・藝文三・丙部子録・兵書類

このうち《孟氏解詁》《孫子孟氏解》《孟氏解孫子》はおそらく同じ内容なので、ひとつとしてカウントします。《七賢傳》《老子注》《集注莊子》のそれぞれの孟氏について、孫子注の孟氏と同一人物である確証は無いのですが、十一家注孫子(十家注)の注釈の内容に《老子》に影響を受けたと見られる記述があり、おそらく老子注の孟氏を同一人物に含めて差し支えはなさそうです。

《老子》がOKなら《荘子》の注釈に手が伸びていても不自然ではありませんし、老荘がOKなら老荘思想大好きユニットの「竹林の七賢」の伝記《七賢傳》に手が伸びてもやはり不自然ではないでしょう。

そうであれば3正史には4種の孟氏の著書(集注含む)《孫子注》《老子注》《荘子注》《七賢伝撰》が記されていることになります。

梁有孫子兵法 二巻 孟氏解詁」という記述からは孟氏がいつの時代の人物なのか探るためのヒントが含まれています。梁有の記述から《孟氏解詁》が、南北朝の梁に存在していた書であることがわかります。これは孟氏が梁代、もしくはそれ以前の人であることを匂わせるものです。

これを採用した清代の孫星衍の校《孫子十家注》では孟氏を梁代の人として扱っています。

孟氏は梁人?唐人?

正史《隋書》から孟氏は梁代(またはそれ以前)の人であるというヒントを得ることができました。

それとは別に孟氏を唐代の人と解釈できる記述も存在します。

 郡齋讀書志 《郡齋讀書志・巻十四・兵家類》につぎのような記述があります。

《紀變注孫子》三卷、右唐紀變集唐孟氏、賈林、杜佑三家所解。

唐の《紀變注孫子》には唐の孟氏、賈林、杜佑の注がおさめられている。とするこの記述に加え、《郡齋讀書志》目録のリスト順が、

  • 魏武(曹操)
  • 李筌
  • 杜牧
  • 陳皡
  • 孟氏、賈林、杜佑
  • 梅聖俞(梅堯臣)
  • 王皙
  • 何氏

という並びになっていることから、孟氏を唐代の人と解釈されることになりました。宋本十家注(宋本十一家注)孫子の注釈でもそれが反映されたリスト順で記載されています。(張預は郡齋讀書志以降の人なのでここでは登場していません。)

《郡齋讀書志》のヒントを採用した場合はこの順、《隋書》のヒントを採用した場合は曹操と李筌あいだに孟氏が入ることになります。

  • 魏武(曹操)
  • 孟氏
  • 李筌
  • 杜牧
  • 陳皡
  • 賈林、杜佑
  • 梅聖俞(梅堯臣)
  • 王皙
  • 何氏
  • 張預

《隋書》の孟氏が《郡齋讀書志》の孟氏と別人でもなければ、やはり孟氏は南朝の梁人であると考えたほうが自然です。このような観点から清代の孫星衍の校《孫子十家注》では孟氏を梁代の人として扱い、リスト順も旧来のものから新しいものに改めて記載しています。

孟氏の影響力

目録の流れを見ると孫子注以外の書がはずされていることに気付きます。この理由にはつぎのようなものが考えられます。

  • 競合が増えて埋もれてしまい影響力を失った
  • 評価の高い書物に取って代わられた
  • 散逸した、紛失した
  • ブームが去った

などなど。

なんらかの理由により、宋代以降、孟氏の著書は目録から姿が消えることになります。その後は集注書の《宋本十家注、十一家注孫子》に注釈だけが伝えられました。

孟氏の孫子注からみる老荘愛

伝記が無く、著書名と注釈だけが伝わる孟氏ですが、その人物を感じさせる文章が孫子注にあります。

 十一家注孫子 故可以與之死,可以與之生,而不畏危。

※孟氏曰、一作「人不疑」、謂始終無二志也、一作「人不危」。道、謂道之以政令、齊之以禮教、故能化服士民、與上下同心也。故用兵之妙、以權術為道。大道廢而有法、法廢而有權、權廢而有勢、勢廢而有術、術廢而有數、大道淪替、人情訛偽、非以權數而取之、則不得其欲也。故其權術之道、使民上下同進趨、共愛憎、一利害,故人心歸於德、得人之力、無私之至也。故百萬之衆、其心如一、可與俱同死力動、而不至危亡也。臣之於君、下之於上、若子之事父、弟之事兄、若手臂之捍頭目而覆胸臆也。如此、始可與上同意、死生同致、不畏懼於危疑。

このなかの「大道廢而有法、法廢而有權~~」に注目してみます。「大道廃れて法あり、法廃れて権あり~~」という言い回しは《老子・道経・18章》の言い回しと同じものです。

 老子 大道廢、有仁義。知慧出、有大偽。六親不和、有孝慈。國家昏亂、有忠臣。

※大道廃れて、仁義あり。知慧(慧智)出でて、大偽あり。六親和ずして、孝慈あり。國家昏亂して、忠臣(貞臣)あり。

他にいくらでも言い回しがあるなかで、あえて《老子》に近づけてくるあたり、老荘思想への愛が伝わってきます。