太平御覽(たいへいぎょらん)の孫子とその注釈を紹介します。
今回はそのなかの《孫子》についての記述を抽出してご紹介します。「兵部三・將帥上」では【将帥】をテーマに孫子の記述が抽出されています。
関連:太平御覧の孫子1 / 孫子全訳 / 十一家注本シリーズ / 十一家注の注者11人の紹介
- 太平御覧の孫子2《太平御覽・兵部三・將帥上》巻272
- 御覧の孫子2【計篇・始計篇】の部分
- 御覧の孫子2【作戦篇】の部分
- 御覧の孫子2【謀攻篇】の部分
- 御覧の孫子2【九変篇】の部分
- 【九変】軍を合し衆を聚め
- 【九変】衢地には交わり合し
- 【九変】絶地に留まること無く
- 【九変】囲地には謀すること無く
- 【九変】途に由らざるところ有り
- 【九変】軍に撃たざるところ有り
- 【九変】城に攻めざるところ有り
- 【九変】地に争わざるところ有り
- 【九変】君命に受けざるところ有り
- 【九変】九変の利に通ずるものは則ち用兵を知る
- 【九変】九変の利に通じぜざるは
- 【九変】人を治めて五変を知らざれば
- 【九変】智者の慮は必ず利害に雜う
- 【九変】利に雑じりて務は信なるべき
- 【九変】害に雑じりて患いは解くべし
- 【九変】これを趣かすに利を以てす
- 【九変】其の来たらざるを恃むこと無く
- 【九変】将に五危あり
- 【九変】必生は虜にさるべし
- 【九変】忿速は侮らるべし
- 【九変】廉潔は辱めらるべし
- 【九変】愛人は而して煩わさる
- 【九変】用兵の災
- 御覧の孫子2【地形篇】の部分
- 御覧の孫子2【火攻篇】の部分
- つづく
太平御覧の孫子2《太平御覽・兵部三・將帥上》巻272
【凡例】便宜的に見出しをつけ、それぞれの見出しごとに原文・訳文・意訳・補足を附しています。原文は句読点、引用符、情緒符号が附されたものです。
【御覧孫子の特徴】本文と注釈の多くは原典や類書からの単純な引用なのですが、細部に差異が見られ、その異なる部分に注目して楽しむことも出来ます。
御覧の孫子2【計篇・始計篇】の部分
【計・始計】将とは、智・信・仁・勇・厳なり
※御覧注=なし
※御覧注=なし
梅堯臣注では具体的につぎのような能力のことであると注釈しています。
- 智はよく謀を発す
- 信はよく賞罰す
- 仁はよく衆附く(つく) →多くがつき従うこと
- 勇はよく果断す
- 厳はよく威を立む(さだむ) →厳威・権威などの効力でチームをピリッとまとめる
- 智者、先を見て惑わず、よく謀慮・権変に通ずものなり
- 信者、号を一にせしむものなり →規律正しいこと
- 仁者、恵撫・惻隱し、人の心を得るものなり
- 勇者、義に徇い(したがい)懼れず(おそれず)、よく毅き(つよき)を果たすなり
- 厳者、威厳を以て衆心を粛す
- 智は乱すべからず →智者は乱すことがない
- 信は欺くべからず →信者は欺くことがない
- 仁は暴くべからず →仁者は暴くことがない
- 勇は懼るべからず →勇者はおそれない
- 厳は犯すべからず →厳者は(罪を)犯すことがない
※権変=ケンペン。情況に応じた行動、臨機応変の処置、または詐術。《史記・張儀伝論賛》→三晋、権変の士多し。
※恵撫=ケイブ。めぐみ、いつくしむこと。《史記・律書第三》→今陛下の仁は百姓を惠撫し、恩澤を海内(天下のこと)に加う。ほか《三國志・蜀書・諸葛亮伝》《魏書・太武五王列伝・東平王翰》などにも登場。
※惻隱(孟子→怵惕惻隱之心)=ソクイン。あわれみいたむ、痛ましく思うこころ。《孟子・公孫丑上》→いま人乍(にわか)に孺子(ジュシ、幼児)のまさに井(かわず、井戸)に入ちん(墜ちん)とするを見れば、みな怵惕(じゅってき、おそれあやぶむこと)惻隱の心あり。《孟子集注》→惻は傷みの切なるなり。隱は痛みの深きなり。
御覧の孫子2【作戦篇】の部分
【作戦】国家安民の主
※御覧注=なし
※御覧注=なし
※知兵之術=十一家(十家)注本、武経本ともに「知兵之将」(兵を知るの将は)
※人之司命、國家安民之主也=十一家(十家)注本では「生民之司命、國家安危之主也」。武経本・《潜夫論》《通典》では「民之司命、國家安危之主也」
御覧の孫子2【謀攻篇】の部分
【謀攻】将は国の輔
※御覧注=将、周密なれば謀、泄せずなり。
※御覧注=1、将の注意が行き届いていれば謀が漏れることがない。2、将との仲が密であれば謀が漏れることがない。
1、車の添え木。《説文解字》→輔は春秋伝に曰く、輔車相依ると。
2、補佐。《楚辞・離騒》→民徳を覧て、輔を錯く。《王逸の注》→輔は佐なり。
3、友。《礼記・学記》→是を以て師輔を離れると雖も、而して返らず。《鄭玄の注》→輔はすなわち友なり。
※周密=シュウミツ。注意のゆきとどいていること。《漢書・宣帝紀》→樞機周密にして、品式備具す。
※樞機=スウキ。枢機。
1、からくり器械、または物事の要の比喩《易・繫辭上》→言行は、君子の樞機、樞機の發は、榮辱の主なり。《王弼の注》→樞機は制動の主。《孔穎達の疏》→樞は戶樞(戸の開閉軸)を謂う、機は弩牙(弩のひきがね)を謂う。
2、政権の要職《漢書・劉向伝》《三國志・蜀書・來敏伝》など。
【謀攻】輔に隙あれば則ち国かならず弱し
※御覧注=なし
※御覧注=なし
【謀攻】軍の患うる所以の者に三あり
※御覧注=縻は御。
※御覧注=ここでの縻は軍をいたづらに制御すること。
【謀攻】軍中の事を知らずして軍中の政を同じうすれば
※御覧注=其れ人の得ざるものなり。
※御覧注=将軍にとって得たくもない邪魔者。
※不知軍中之事而同軍中之政、則軍士惑也=この句、十一家(十家)注本や武経本などの原典では「不知三軍之事、而同三軍之政者、則軍士惑矣。」となっています。(3、大軍の用兵を知らずに兵を運用すれば部下を惑わすことになる。)
【謀攻】軍を乱して勝ちを引く
※御覧注=引は奪うなり。
※御覧注=引くというのは奪うこと。
【謀攻】勝を知るに五あり
※御覧注=司馬法曰く、進退を惟る(おもんみる)とき、寡人の白す(もうす)こと無し。
※御覧注=司馬法に曰く、進退を考えるとき、能力の乏しい人は口を挟まない。
曹操注の「曰」は言う、御覧の「白」は申す、と解釈(訓読)することができ、意味としては同じものです。
【謀攻】勝を知るの道
※御覧注=これ上の五事。
※御覧注=上記の五つのこと。
【謀攻】彼を知り己を知れば百戦して殆うからず
※御覧注=なし
※御覧注=なし
御覧の孫子2【九変篇】の部分
【九変】軍を合し衆を聚め
※御覧注=依り所の無きことなり。
※御覧注=よりどころ無く地の利のないところにとどまらないこと。
※汜地=シチ。
1、治水の及ばない川、複雑な形の川のこと。《説文解字》→汜は水別れて復た水に入るなり。
2、はけ口のない水たまりのこと。《説文解字》→一に曰く、汜は窮瀆なり。《張揖 広雅(爾雅)・釈丘》→窮瀆は汜。《爾雅注疏 邢昺疏》→困窮して通ぜざるの瀆(けがれ)水を謂いて、汜と名づくるなり。
※汜地無舍=十一家(十家)注本、武経本では「圮地無舍」。
※圮=ヒ。崩れる、やぶれるの意味。《説文解字》→圮は毀なり。
※圮地=ヒチ。決壊した氾濫川のこと、またはなにかが決壊した困難な情況をあらわしたさま。《十一家注孫子 曹操注》→水毀る(やぶる)を圮と曰う(いう)。
【九変】衢地には交わり合し
※御覧注=諸侯と結ぶなり。
※御覧注=諸勢力と結ぶ。
【九変】絶地に留まること無く
※御覧注=久しく止まること無きなり。
※御覧注=ながく留まることの無いこと。
【九変】囲地には謀すること無く
※御覧注=奇兵を発するものなり。
※御覧注=戦略ではなく、奇兵を繰り出すなど戦術的な行動をとるもの。
※圍地無謀=原典では「圍地則謀」。「謀らない」と「謀る」で逆の意味に解釈できます。《十一家注孫子》の注釈では各家「謀」を奇謀をめぐらすことと定義しています。御覧の謀は大局謀、原典の謀は局地謀と受け取るならば、つまるところ両者の言わんとしている意味はおなじものとも解釈できます。あるいは御覧の誤植である可能性も否定できません。
【九変】途に由らざるところ有り
※御覧注=死難の地、当らざる所の従うや、得ざるなり。
※御覧注=危ない地で向かってはいけないところに行けという命令には、従うことが出来ないこと。
隘と阨は「せまい」という意味。両者、狭い道のなかでは自軍は不利なので、行けと命令さても従うことができない、という注釈です。
※途=原典では「塗」、意味はおなじ「みち」のこと。
【九変】軍に撃たざるところ有り
※御覧注=軍の撃つべくこと難し。地の険を以て難く、利を失う前にこれに留まざれば、もしこれを得ても、また利は薄し。
※御覧注=倒すことが難しい情況のこと。敵が地の利を得ていれば攻撃することは難しく、自軍が先に地の利を得ぬままに粘ってみても、仮に倒せたとして被害多く利益は薄いものです。
曹操注ではさらに「追い詰めた敵は必死に戦う」ので倒すことが難しい事だと注釈しています。
【九変】城に攻めざるところ有り
※御覧注=城小にして固く糧饒ければ(おおければ)、攻めるべからざるなり。
※御覧注=小城にみえても内情が充実していて守り固ければ、安易に攻めることができないこと。
【九変】地に争わざるところ有り
※御覧注=皆、上と同じく、操(曹操)の華の置きし所以は、費にして徐州に深く入り、十四県を抜く。
※御覧注=上のような理由を踏まえて、曹操が都を放置した理由は、都の兵力を攻めに回して徐州十四県を獲得せんがため。
1、みやこ《李白・巴陵贈賈舎人詩》→賈生、西を望みて京華を憶う(おもう)。
2、中華の意《春秋左伝・定公十年》→夷(夷狄)、華を乱さず。
※費=ヒ。
1、ついやすこと。《説文解字》→費は財用を散ずるなり。
2、地名。春秋時代の魯の邑の名。《春秋左伝・隠公元》→費伯、師を帥いて(ひきいて)郎に城く(きずく)。《左伝 杜預注》→費伯は魯の大夫なり。《十一家注孫子 杜牧注》→操捨華、費不攻、故兵力完全、深入徐州、得十四縣也。(曹操は都を放置して、費を攻めず、ゆえに兵力を完全にし、深く徐州に入り、十四県を得る。)
費が地名であれば、杜牧注の解釈は「都の兵力を犠牲にして、固い費を攻めず、だからこそ温存した兵力で徐州14県を得ることが出来た。」となります。
古典ぱんメモ この御覧の注釈は、曹操(魏武)の注を引いたものです。(~~ 操所以置華、費而深入徐州、得十四縣也。)《十一家注孫子》【九変】君命に受けざるところ有り
※御覧注=茍して事に便うも(ならうも)、君命に茍せずなり。
※御覧注=事に向き合い行動する事について慎んで戒めることがあっても、主君の命令には遠慮しないこと。
【九変】九変の利に通ずるものは則ち用兵を知る
※御覧注=九事の変。
※御覧注=九変は九事の変のこと。
- 圮地(御覧では汜地)にとどまらない
- 衢地では外交する
- 絶地にはとどまらない
- 囲地では謀る(御覧では謀らない)
- 死地では戦う
- 道、通ってはならない道がある
- 軍、攻撃してはならない軍がある
- 城、攻めてはならない城がある
- 地、争ってはならない地がある
- 君命、従ってはならない命令がある
- 1、曹操注:上の九事の変のこと。→九つの事柄と受け取ることが出来る。
- 2、賈林注:上の九事のこと。10個あるのに九事であるのは、君命についての事柄は常なる変化の例ではないので、君命を除く9つの事柄を九事と解釈する。→君命を除く九つの事柄。
- 3、何氏注:九変篇と銘打っているのに10個の変化があるので、皆が惑うことになる。しかしよく熟慮して文意を観察してみると「君命」については地の利が関係していないことに気がつく。よって「君命」を除く9の事柄を九変と解釈する。→君命を除く九つの事柄。
【九変】九変の利に通じぜざるは
※御覧注=なし。
※御覧注=なし
【九変】人を治めて五変を知らざれば
※御覧注=下の五事なり。
※御覧注=五変と五利は下の五つの事柄をさす。
※治人不知五變=十一家(十家)注本、武経本では「治兵不知九變之術」。
【九変】智者の慮は必ず利害に雜う
※御覧注=利在らば害を思い、害在らば利を思う。
※御覧注=利が有るなら害も考慮し、害が有るなら利も考慮する。
【九変】利に雑じりて務は信なるべき
※御覧注=敵を計るに五地に依るに能わずして我れの害を信と為せば、務は信なるべきと為すなり。
※御覧注=相手を分析するに、五地によって考える事ができないとき、(普段から利害両面を考えるため)我が身の不利な点を真剣にとらえて補強するので、任務成功の実現につながる。
※五地=上の句からこの句を含め、さらに下の3句を加えた五つのこと。もしくは九変篇冒頭のうちの五つの地。
古典ぱんメモ この御覧の注釈は、曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、計敵不能依五地為我害、所務為可信也。)《十一家注孫子》。【九変】害に雑じりて患いは解くべし
※御覧注=害にならびて計るとき、患いあるといえども解くべきなり。害中に利が雑じれば、これ死地に陥りて後に生じるなり。
※御覧注=害と利の両面を考慮するとき、心配事があってもほぐれやすい。害のなかに利がまじれば、一時的に危機に陥ってもその後を利で補うことが出来る。
【九変】これを趣かすに利を以てす
※御覧注=自らに来させしむることなり。
※御覧注=おもむかすとは、自分のもとに来させること。
※趣之以利=十一家(十家)注本、武経本では「趨諸侯者以利」。趨ははしる、おもむくの意。赴・趣と同義。《説文解字》→趨は走なり。趣は疾なり。赴は趨なり。
【九変】其の来たらざるを恃むこと無く
※御覧注=安に危を忘れず、常にこれに備うなり。
※御覧注=安全であっても危機管理を忘れず、常に備えておくこと。
【九変】将に五危あり
※御覧注=疑なき勇なり。
※御覧注=必死は殺され、というのは何事にも疑念を抱かずひたすらに戦う匹夫の勇であるから。
【九変】必生は虜にさるべし
※御覧注=利を見て進まざる将は必ず生の意を怯弱にして、上下に猶豫とし、急にして取らさるべし。
※御覧注=利があるのに進まない将は安全を優先して怯弱(臆病で弱弱しいこと)で、いろいろなことにためらい、そうしている間に敵から急襲をうけて奪取されてしまいます。
※四鄰(四隣)=シリン。四方の隣国《書経・蔡仲之命》。となり近所《列女伝・節義・周主忠妾伝》。あたり、四辺《唐・王維の詩》。
※狐疑=コギ。疑い深くて決心がつかないさま。《朱熹 楚辞集注》→狐、疑い多く、而して善く聴く。河氷始めて合すれば、狐、其の下を聴く。水声を聴かざれば、すなわち敢えて過ぐ。故に人の河氷を過ぐるもの、要は須らく狐に行きてしかる後に渡るべし。因りて疑い多きものを謂いて、狐疑と為す。(河氷を歩くときにキツネは氷の下に水音が流れていないか確める。そんな慎重な習性に例えて説明している朱熹の注釈。)
古典ぱんメモ 「見利不進將怯弱必生之意」の部分、曹操注では「見利畏怯不進也」。怯弱という表現は孟氏注と共通。※必生可虜=十一家(十家)注本、武経本では「必生可虜也」
【九変】忿速は侮らるべし
※御覧注=忿疾の人は忿怒すべくして侮を致すなり。
※御覧注=短気な人はすぐ怒り、他人を侮ってしまいがち。
※忿速可侮=十一家(十家)注本、武経本では「忿速可侮也」
【九変】廉潔は辱めらるべし
※御覧注=廉潔の人は汚し辱めるべくすれば而して必ず来戦に致る。
※御覧注=清い人を汚して辱めれば必ず戦いに向かわせることが出来る。
※汙=オ。けがす、よごす、あらすの意。汚と同義。《説文解字》→汙は薉(あれる)也。一曰、小池を汙さん(けがさん)とす。一曰、涂(ぬる、よごす)也。
【九変】愛人は而して煩わさる
※御覧注=必ず出るところに走るとき、人を愛するもの必ずこれを救うに道を倍して(まして)兼行すれば、すなわち煩いて労するなり。
※御覧注=重要なところに出向けば、他人を愛するものはこれを救おうと強行軍でやってくるので、兵は疲労する。
※愛人而煩=十一家(十家)注本、武経本では「愛民可煩也」
【九変】用兵の災
※御覧注=なし
※御覧注=なし
御覧の孫子2【地形篇】の部分
【地形】吏の強くして卒の弱きはすなわち陷る
※御覧注=吏の強くして進まんと欲せば、卒の弱きは輒ち(たちまち)陷ちて、敗れるなり。
※御覧注=上役だけが強くてグイグイ引っ張ろうとしても、兵士が弱ければつぎつぎに脱落者が出てついていくことができず、敗れてしまうこと。
【地形】大吏怒りて服せず
※御覧注=大吏は小将なり、これ大将に怒り、厭きれて(あきれて)服せずして、忿して敵に赴き、軽重を量らずんば(はからずんば)、すなわち必ず崩壊するものなり。
※御覧注=大吏は小将。これが大将に怒り、命令に従わずに敵と自分勝手に戦いをはじめてしまえば、軍はかならず崩壊してしまうこと。
【地形】将の弱くして厳ならず
※御覧注=将このごとく為せば、これ道を乱すものなり。
※御覧注=なし
※縦横=ジュウオウ。ここでは自由な振る舞いと解釈。《後漢書・李固伝》→賓客の縦横、多く過差あり。
※過差=カサ。過失のこと、おごりや贅沢なこと。《漢書・五行志中之上》→失うこと過差に在り。《書経・胤征序・義和湎淫伝》→酒に湎れて(おぼれて)沈み、過差度に非ず。
古典ぱんメモ この御覧の注釈は、曹操(魏武)の注を引いたものです。(曹操曰、為將若此、亂之道也。)《十一家注孫子》。【地形】敵を料ること能わず
※御覧注=兵勢をこのごとくすれば、必ず走するものなり。
※御覧注=このようにすれば必ず敗れて潰走するということ。
※兵無避鋒=十一(十)家注本、武経本では「兵無選鋒」。選鋒とは選び抜かれた精兵のこと。《六韜・武鋒》→凡そ用兵の要、必ず武車・驍騎・馳陣・選鋒あり。
【地形】六者は勝敗の道、将の至任なり
※御覧注=なし
※御覧注=なし
※至任=シニン。任に至る、任された者の能力次第、任者に左右される、重大なことを任された者の能力次第で成否が左右される。《十一家注孫子・李筌注》→李筌曰く、此れ地形の勢なり、将の知らざるものを以て敗れる。《十一家注孫子・張預注》→張預曰く、六地の形、将知らざるべからず。
古典ぱんメモ※勝敗之道=十一(十)家注本、武経本では「敗之道也」
御覧の孫子2【火攻篇】の部分
【火攻】利に非ざれば起こさず
※御覧注=やむを得ずして兵を用う。
※御覧注=危険が迫れば、そこでようやくやむを得ず戦うということ。
※非利不起=十一(十)家注本、武経本では「非利不動」
【火攻】主は怒りを以て軍を興すべからず
※御覧注=喜怒を以てして兵を用うれば得ず。
※御覧注=喜怒などの感情的行動で兵を動かせば利は得られないこと。
※興軍=十一(十)家注本、武経本では「興師」。御覧の「興軍」は竹簡孫子とおなじ。
※合戰=十一(十)家注本、武経本では「致戦」。戦を致す。
【火攻】国を安んずるの道なり
※御覧注=なし
※御覧注=なし
※此安國之道也=十一(十)家注本、武経本、《太平御覧・巻311》では「此安國全軍之道也」。《通典・巻156》では「安危之道」
つづく
孫子と孫子注が引かれている《太平御覽・兵部十一・撫士上》巻280 につづく
関連:太平御覧の孫子1 / 孫子全訳 / 十一家注本シリーズ / 十一家注の注者11人の紹介