三略の由来について:劉寅《三畧直解》巻上の序文の現代語訳

三略関連

明・劉寅の《三畧直解》の冒頭部分(序文)では、三略という書物の由来について触れています。結論としては、三略の由来は伝承の通りとは考え難く、事実に近づくためには考証の余地がある。として結んでいます。

この冒頭部分の魅力としては、基本的な考証材料を、劉寅がわかりやすく示してくれている点にあります。これを追っていくと由来伝承の「ゆがみ」をざっくりと把握することができます。

関連 《三略》上略

関連 《三略》中略

関連 《三略》下略

関連 《黄石公素書》現代語訳

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劉寅《三畧直解》巻上より

【凡例】便宜上、原文を文脈ごとに分けています。それぞれの文脈は、原文・書き下し・現代語訳・ポイントまとめ・語句解説の順に構成されています。原文の脚注にはそれぞれ該当部分の原文抜粋文を付しています。ここでの原文とは、白文に句読点がついたものも含めて指しています。

三者~(冒頭部分)

  • 原文
    三者、上中下三卷也。畧者、謀畧也。世以為、黄石公書、授張子房於圯橋者也。
  • 書き下し
    三とは、上中下の三卷なり。畧とは、謀畧なり。世の以為らく、黄石公の書は、圯橋に於いて張子房に授けしもの也。
  • 現代語訳

    三略の三は、上巻・中巻・下巻の三巻のことを指しており、三略の略は謀略のことを指しています。世の中に広く伝わるところでは、黄石公が圯橋(下邳にある橋名)で張子房(始皇帝暗殺に失敗し逃亡中の張良)に授けた書物だと知られています。

  • ポイントまとめ
    《三略》は黄石公が張良に授けた書として広く知られている。
  • 語句解説
    圯橋=いきょう。徐州の下邳にある橋の名前、あるいは単に橋のことを指す。故事の名所として、現在は付近の土地にレプリカが作られています。

按~(考証の材料)

漢書・藝文志より

  • 原文
    按、漢書藝文志云注1漢書藝文志云:《漢書・藝文志》→凡兵書五十三家、七百九十篇、圖四十三卷。兵家者、蓋出古司馬之職、王官之武備也。洪範八政、八曰師。孔子曰為國者、足食足兵、以不教民戰、是謂棄之、明兵之重也。易曰、古者弦木為弧、剡木為矢、弧矢之利、以威天下、其用上矣。後世燿金為刃、割革為甲、器械甚備。下及湯武受命、以師克亂而濟百姓、動之以仁義、行之以禮讓、司馬法是其遺事也。自春秋至於戰國、出奇設伏、變詐之兵並作。漢興、張良韓信序次兵法、凡百八十二家、刪取要用、定著三十五家。諸呂用事而盜取之。武帝時、軍政楊僕捃摭遺逸、紀奏兵錄、猶未能備。至于孝成、命任宏論次兵書為四種。、張良韓信序次兵法凢百八十二家、删取要用、定著三十五家、並不言有。三畧者、漢成帝時、任宏論次兵書、分權謀形勢陰陽技巧四種、共五十三家、而三畧亦不載焉。
  • 書き下し
    按、《漢書・藝文志》に云う、「張良韓信は兵法凢そ百八十二家を序次し、删取して要を用い、三十五家の著を定む」も、並せて言わざるもの有り。三畧は、漢成帝の時、任宏、兵書を論次して權謀・形勢・陰陽・技巧の四種に分かち、五十三家を共すも、而して三畧亦た不載なり。
  • 現代語訳

    《漢書・藝文志》の後半にこうあります、「張良と韓信は、およそ182種類の兵法を整理し、主要な書物を選抜して、35種類に絞った」ものの、そこに三略の名は記されていません。漢の成帝の時代(成帝劉驁。紀元前33~7年。)の命令で、「任宏は兵書を整理」して53種類に拡大してまとめられたものの、そこにも三略の名前は見えません。

  • ポイントまとめ
    《漢書・藝文志》の書籍リストには三略の名前がない。
  • 語句解説
    序次=じょじ。編纂、編集、整理のこと。
  • 語句解説
    删取=さんしゅ。删はけずること、削り取ること。または取るを採ると解釈し、削ったり採ったりすること、整理すること。/《説文解字》删、剟也。《説文解字》取、捕取也。《玉篇》取、資也、收也。《廣韻》取、受也。
  • 語句解説
    論次=ろんじ。編集して定めること、整えること。/《史記・孝武本紀》入壽宮侍祠神語、究觀方士祠官之言、於是退而論次 《史記・儒林列傳》故孔子閔王路廢而邪道興、於是論次詩書、修起禮樂。
  • 語句解説
    任宏=にんこう、じんこう。人名。步兵校尉のときに兵書の整理を命じられ、のちに執金吾にまで上った。/《漢書・藝文志》步兵校尉任宏校兵書 《漢書・哀帝紀》明年、使執金吾任宏守大鴻臚、持節徵定陶王、立為皇太子。

史記・留侯世家より

  • 原文
    史稱、張良少匿下邳、與父老遇於圯橋出書一編。曰、讀此則為王者師、遂去、旦日視之乃太公兵法也。
  • 書き下し
    史に稱す、少き張良下邳に匿れ、圯橋に於いて父老と遇い書一編を出す。曰く、此を讀めば則ち王者の師たり、遂ち去り、旦日にして之を視れば乃ち太公兵法なり。
  • 現代語訳

    《史記・留侯世家》が言うところでは、20代前半の若き張良は(始皇帝の暗殺に失敗して)下邳に隠れ、圯橋の上で老人と出会い、老人は書物を一編だしてこう言った。「これを読めば王者の師となろう」老人は去り、あらためてよく見ると太公兵法(太公望呂尚の兵法)であった。とされています。

  • ポイントまとめ
    《史記・留侯世家》では張良は老人から《太公兵法》を授かったとある。
  • 語句解説
    旦日=たんじつ。明日、次の日。/《説文解字》旦、明也。

通鑑綱目・卷二下より

  • 原文
    通鑑綱目亦曰注2通鑑綱目亦曰:《資治通鑑綱目・卷二下》→「沛公得張良以為廏將」→楚王景駒在留沛公往從之張良亦聚少年百餘人欲從駒道遇沛公遂屬焉公以良為廏將良數以太公兵法說沛公公善之常用其䇿良與他人言輒不省良曰沛公殆天授遂從不去駒使沛公與秦交戰不利攻碭㧞之得其兵六千人與故合九千人擊豐不下《資治通鑑綱目・卷二下》集覽→景駒在留景駒姓名也留地名漢置留城縣今廢為鎮屬徐州彭城縣在沛縣東南五十里張良封留即此太公兵法索隱曰譙周云太公姓姜名牙葢牙本是字尚是名也其先祖封呂從其封姓故曰呂尚文王出獵而遇之載與俱歸立為師言吾先君太公望子久矣因號太公望正義曰七錄云太公兵法一帙三卷、張良與沛公遇於留、良數以太公兵法說沛公、沛公喜常用其䇿良、為他人言輙不省。良曰、沛公殆天授遂不去。正義曰、七錄云、太公兵法一帙三卷。
  • 書き下し
    通鑑綱目に亦た曰く、「張良と沛公留に於いて遇い、良数(しばしば)太公兵法を以て沛公に說く、沛公喜として其の良策を常に用い、他人の言を為して輙く省りみず。良曰く、沛公殆に天授を遂して去らず。正義曰く、七錄に云う、太公兵法一帙三卷。」
  • 現代語訳

    朱熹の《資治通鑑綱目・卷二下》にこうあります、「張良と沛公(劉邦。劉季)は留(地名)でたびたび会見し、張良は太公兵法を沛公に説き、沛公は張良の策謀を常に採用し、そして軽々しく変更はしなかった。張良は言う、沛公はほとんど天の時を得ながら遂行し逃すことがない。」同項の集覽では「《史記正義》にこうある、《七錄》に云う、太公兵法は一帙(1セット)三卷。」とあります。

  • ポイントまとめ
    《資治通鑑綱目》でも張良の授かった書は《太公兵法》とし、史記正義の言葉を引いて《太公兵法》は1セット三巻であることを記している。

李衛公問對・卷上より

  • 原文
    唐李靖亦云、張良所學、太公六韜三畧是也注3張良所學、太公六韜三畧是也:《李衛公問對・巻上》靖曰、張良所學、太公六韜三略是也。韓信所學、穰苴孫武是也。然大體不出三門四種而已。。然則三畧本太公書、而黄石公或推演之、以授子房所以。兵家者、流至今因、以為黄石公書也。
  • 書き下し
    唐李靖亦た云う、「張良の學ぶ所は、太公の六韜三畧是なり。」然らざれば則ち三畧の本は太公の書にして、或いは黄石公之を推演し、以て子房の授ずくるの所以なり。兵家の者、今に因る流れに至り、以て黄石公の書と為す也。
  • 現代語訳

    《李衛公問對・卷上》にこのようなものがあります、「張良の学んだ兵法というのは、太公の六韜三略です。」と。であればすなわち三略という書物は太公望の書、あるいはそこに黄石公の解釈が含まれたものであり、そうして張子房の手に渡ったということなります。このような考えによるならば、三略は黄石公の書だと考えることもできます。

  • ポイントまとめ
    《李衛公問對》では張良の学んだ書は太公の《六韜》《三略》という旨の記述がある。これを考慮すると《三略》は太公望の書で、それを受けた黄石公を介して張良に渡ったと考えることができる。
  • 語句解説
    推演=すいえん。解釈、自分なりに噛み砕いて理解する。/《新語・明誡》觀天之化推演萬事之類。《三國志・諸葛亮傳》推演兵法、作八陳圖、咸得其要雲。

素書注・宋張商英序より

  • 原文
    宋張商英又云、素書乃黄石公所授子房者也。世人多以三畧為是、盖傳之者誤耳、素書者、晉亂、有盜發子房塜、於枕中獲之。上有祕戒注4上有祕戒:《黃石公素書注・宋張商英序》→晉亂、有盜發子房塚、於玉枕中獲此書、凡一千三百三十六言、上有秘戒、不許傳於不道、不神、不聖、不賢之人、若非其人、必受其殃、得人不傳、亦受其殃。、不許傳於、不神不聖之人。又摘取書中數語、以證子房之事注5又摘取書中數語、以證子房之事:《黃石公素書注・宋張商英序》→而子房者、豈能盡知其書哉。凡子房之所以為子房者、僅能用其一二耳。書曰、陰計外洩者敗。子房用之、嘗勸高帝王韓信矣。書曰、小怨不赦、大怨必生。子房用之、嘗勸高帝侯雍齒矣。書曰、決策於不仁者險。子房用之、嘗勸高帝罷封六國矣。書曰、設變致權、所以解結。子房用之、嘗致四皓而立惠帝矣。書曰、吉莫吉於知足。子房用之、嘗擇留自封矣。書曰、絕嗜禁慾、所以除累。子房用之、嘗棄人間事、從赤松子遊矣。。且曰、自漢以來、章句文辭之學熾、而知道之士極少。如諸葛亮、王猛、房喬、裴度等、雖號為一時賢相、至於先天大道、曽未知其髣髴。此書所以不傳於不道、不神、不聖、不賢之人也。
  • 書き下し
    宋張商英又た云う、「素書乃ち黄石公の子房に授ずくる所のものなり。世人の多を以て是れを三畧と為す、盖し之を傳う者耳誤り、素書は、晉亂、子房塜に盜發あり、枕中より之を獲る。上に祕戒有り、不神不聖の人に於いて傳うこと許さず。」又た書中の數語を摘み取り、以て子房の事を證す。且た曰く、「自漢以來、章句文辭の學を熾(さかん)にして、知道の士は極めて少し。如し諸葛亮、王猛、房喬、裴度等、一時賢相の號を為すと雖も、天の大道の先に至れば、曽ち未だ其の髣髴を知らず。此の書の所以は不道、不神、不聖、不賢の人に伝わらざるものなり。」
  • 現代語訳

    宋の張商英《黃石公素書注・宋張商英序》にこうあります、「《素書》は黄石公が張良に授けた書物。世の人の多くはこれを《三略》だと考えられているが、私の考えではその伝承には誤りが含まれていると考える。《素書》は晋代の混乱の中、張良の墓で盗掘の被害が発生し、棺の中からこれが発見されたものである。棺の上には秘密の戒めの言葉があり、不道・不神・不聖・不賢の者にはこの書物を伝えることは許されない、もしそうでないものに伝えた場合は必ず災いが及ぶ。とあった。」

    またこの序文の他の部分でも、張良について言及しているものが存在しています(脚注5参照)。また《黃石公素書注・宋張商英序》に曰く、「前漢以来、学問を学ぶことを盛んにしながら、道を知るに至った者は極めて少ない。もし諸葛亮・王猛・房喬・裴度などの名臣が、一時は賢相と称されたとしても、天の大道の先に行き着いたならば、すなわち(道のはたらきは表現しきれないものなので)その経緯について誰も知ることができないのだ。つまりこの書の本質は不道・不神・不聖・不賢の者には伝わりようもないのだ。」

  • ポイントまとめ
    《黃石公素書注・宋張商英序》の主張では、張良の授かった書物は《素書》であり、張良の墓から発見されたのはそのためである。と解説されている。
  • 語句解説
    髣髴=ほうふつ。そのことについての歩み、物事の経緯。/《漢書・敘傳上》昔有學步於邯鄲者、曾未得其髣髴、又復失其故步。

今觀~(劉寅の考え)

  • 原文
    今觀、素書原始章首論、道德仁義禮俱本三畧下卷中文因、而推廣之耳下文、賢人君子、明於盛衰之道、通乎成敗之數、審乎理亂之勢、達乎去就之理。故潜居抱道、以待其時。若時至而行、則能極人臣之位、得機而動、則能成絶代之功。是以其道足髙、而名揚於後世及。能有其有者安、貪人之有者殘。舍己以教人者逆、正己以化人者順。皆三畧全文、而少變之耳其後五章、赤是雜取古書中語、而更換字樣聨屬之非、秦漢以前古書況商英之言多涉。虚無觀其曰、離有離無之謂道、非有非無之謂神有、而無之之謂聖無、而有之之謂賢。又曰、老子言、其體故云、禮者忠信之薄、而亂之首、黄石公言、其用故云、道德仁義禮不可無一焉、此其深於斯道者之言也。素書果出於子房塚中、而隋唐以來、名儒碩士、何故無一言及之恐、是後人依倣、而為之者所以、宋先正程朱輩俱不暇論也。今亦未敢必、以為然姑明、其大槩係、於三畧直解下、以俟知者焉。
  • 書き下し
    今觀、素書原始章の首論、道德仁義禮は俱に三畧の本下卷中の文に因り、而して推廣之れ下文に耳く、賢人君子は、盛衰の道を明らかにし、成敗の數に通じ、理亂の勢を審らかにし、去就の理に達す。故に居に潜み道を抱き、以て其の時を待つ。若し時至りて行えば、則ち能く人臣の位を極む、機を得て動けば、則ち能く絶代の功を成す。是れを以て其の道髙むるに足りて、名を後世に揚ぐるに及ぶ。能く其の有を有する者は安く、人の有を貪る者は殘(そこな)う。己を舍てて人を教うるは逆なり、己を正して人を化する者は順なり。皆な三畧の全文、而して少變の之れ五章其の後に耳き、是の赤は古書中の語を雜取して、字樣を換え更め聨屬之れに非ず、秦漢以前の古書の況や商英の言の多きに涉るをや。虚無を觀て其に曰く、有を離し無を離す之れを道と謂う、有を非し無を非す之れを神有と謂う、而して之を無す之れを聖無と謂う、而して之を有す之れ賢と謂う。又曰く、老子の言、其の體故に云う、禮は忠信之を薄くして、亂の首なり、黄石公の言、其を用して故に云う、道德仁義禮は一なかるべからず、此れ其の斯く道者の言より深き也。素書子房塜中より出るを果たし、而して隋唐以來、名儒碩士、何故一言に及ぶこと無く之を恐れんか、是れ後人の倣に依りて、之の者の所以と為し、宋の先正程朱の輩俱に論ずるに暇せざるもの也。今亦た未だ敢えて必せず、以て姑(しばら)く然を明せんが為、其の大槩を係し、三畧に於いて直解を下し、以て知者を俟つものなり。
  • 現代語訳

    今の視点で見れば、《素書・原始章》の首論である「道・德・仁・義・禮」は《三略・下略》の文と共通するものであり、その論の展開文が《素書・原始章》の下に続いていることがわかります。

    《素書・原始章》に曰く「賢人君子というものは、盛衰をよく判断し、成敗の計算に通じ、治乱の扱いに詳しく、事にあたれば立ち回りの達人。このような者は、思いを胸に世を忍んでいても、時が来れば招かれて、そして高い地位に昇ることになる。機を得て動けば絶大な功績をたてる。」「このように動けば道のはたらきを効率よく発揮でき、そして名前は後代にまで響く。」

    《三略・下略》に曰く、「自分の有するものを守れば安定し、他人のものをむさぼれば問題が起きる。」「自分のことは棚に上げて、人のことを教育しようとしても出来ない。己を磨いて人を教化すれば順調に行く。」

    この《三略・下略》の言葉は、《素書・遵義章第五》以降にも同様の言葉がみられ、それらの主張は古書から引いたものであり、その言葉の形を保持しつつ表現を変えて用いており、必ずしもつなぎ合わせが滑らかでは無いという特徴をもっています。これは秦漢より以前の時代の古書を見れば明らかですし、張商英の《素書注・宋張商英序》の説明文でも触れられていることは言うに及びません。

    《素書注・宋張商英序》では不道・不神・不聖・不賢の者に対応した言葉として黄老思想の「道」を引いています、「有無の偏りから解き放たれたものを道という、有無に偏らないものを神ありという、そしてこれを無視するものは聖なしといい、これをわきまえるものは賢という。」

    また《老子・三十八章》のことば「礼は忠信が薄れて生じ、そして乱れの元となった。」の思想を用いて《素書・原始章第一》ではこのように言っています「道德仁義禮はどれか一つが欠けてもならない」と。これはつまり道家の言を踏まえた言葉ということであり、素書は老子以降の書という考え方ができます。

    《素書》が張良の墓から出てきたものだとすれば、隋唐以降の儒学大家や学者たちは、どうして真面目にこのことについて言及しなかったのでしょうか、それは先例に依るものであり、その先例を重んじた結果、宋学の先駆者である程頤と朱熹らの時代に至っても言及するものが居なかったのです。

    これらは今(明代)に至っても結論は出ておらず、そこで今その問題点を明らかにするために概要をつなぎ、それを《三略直解》にまとめ、そして後の知者のたたき台となろうとするものです。

  • ポイントまとめ
    つらつらおもんみるに、《三略》の由来は伝承の通りでないことが浮き出てくる。後の知者への判断材料として、いまここに概要を記しておく。
  • 語句解説
    推廣=すいこう。論を展開する。/《新唐書・李嶠傳》~今所察按、準漢六條而推廣之~
  • 語句解説
    少變=しょうへん。小變。少し変化したもの、やや変更が加えられたもの。/北宋・葉夢得《避暑録話・巻下》韓退之作、毛穎傳、此本南朝俳諧文、驢九錫、雞九錫之類、而小變之耳。
  • 語句解説
    =せき。ここでは大本、本質、真ん中と解釈。/《書・康誥》若保赤子。|疏→子生而赤色、故言赤子。《漢書・五行志》赤地千里。|註→空盡無物曰赤。
  • 語句解説
    聨屬=れんぞく。連属。つなぐこと、つなぎ合わせのこと。/《説文解字》聨、連也。《莊子・馬蹄》當是時也、山無蹊隧、澤無舟梁、萬物群生、連屬其鄉。|《莊子》成玄英疏→夫混茫之世、淳和淡漠。故無情萬物連接而共裡閭、有識群生係屬而同鄉縣。|《史記・孝武本紀》天子親如五利之第。使者存問所給、連屬于道。
  • 語句解説
    虚無=きょむ。黄老思想、道家思想の「道」の本体を表現する言葉。/《莊子・刻意》夫恬惔寂寞、虛無無為、此天地之平而道德之質也。《文子・十守》故靜漠者神明之宅、虛無者道之所居。《淮南子・俶真訓》是故虛無者道之舍、平易者道之素。
  • 語句解説
    先正=せんせい。先の時代の賢人。/《書・說命下》昔先正保衡、作我先王。
  • 語句解説
    程朱=ていしゅ。宋学の先駆者、程頤と朱熹のこと。あるいは程顥・程頤兄弟と朱熹の三人を指したことば。
関連 《三略》上略

関連 《三略》中略

関連 《三略》下略

関連 《黄石公素書》現代語訳

脚注

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1. 漢書藝文志云:《漢書・藝文志》→凡兵書五十三家、七百九十篇、圖四十三卷。兵家者、蓋出古司馬之職、王官之武備也。洪範八政、八曰師。孔子曰為國者、足食足兵、以不教民戰、是謂棄之、明兵之重也。易曰、古者弦木為弧、剡木為矢、弧矢之利、以威天下、其用上矣。後世燿金為刃、割革為甲、器械甚備。下及湯武受命、以師克亂而濟百姓、動之以仁義、行之以禮讓、司馬法是其遺事也。自春秋至於戰國、出奇設伏、變詐之兵並作。漢興、張良韓信序次兵法、凡百八十二家、刪取要用、定著三十五家。諸呂用事而盜取之。武帝時、軍政楊僕捃摭遺逸、紀奏兵錄、猶未能備。至于孝成、命任宏論次兵書為四種。
2. 通鑑綱目亦曰:《資治通鑑綱目・卷二下》→「沛公得張良以為廏將」→楚王景駒在留沛公往從之張良亦聚少年百餘人欲從駒道遇沛公遂屬焉公以良為廏將良數以太公兵法說沛公公善之常用其䇿良與他人言輒不省良曰沛公殆天授遂從不去駒使沛公與秦交戰不利攻碭㧞之得其兵六千人與故合九千人擊豐不下《資治通鑑綱目・卷二下》集覽→景駒在留景駒姓名也留地名漢置留城縣今廢為鎮屬徐州彭城縣在沛縣東南五十里張良封留即此太公兵法索隱曰譙周云太公姓姜名牙葢牙本是字尚是名也其先祖封呂從其封姓故曰呂尚文王出獵而遇之載與俱歸立為師言吾先君太公望子久矣因號太公望正義曰七錄云太公兵法一帙三卷
3. 張良所學、太公六韜三畧是也:《李衛公問對・巻上》靖曰、張良所學、太公六韜三略是也。韓信所學、穰苴孫武是也。然大體不出三門四種而已。
4. 上有祕戒:《黃石公素書注・宋張商英序》→晉亂、有盜發子房塚、於玉枕中獲此書、凡一千三百三十六言、上有秘戒、不許傳於不道、不神、不聖、不賢之人、若非其人、必受其殃、得人不傳、亦受其殃。
5. 又摘取書中數語、以證子房之事:《黃石公素書注・宋張商英序》→而子房者、豈能盡知其書哉。凡子房之所以為子房者、僅能用其一二耳。書曰、陰計外洩者敗。子房用之、嘗勸高帝王韓信矣。書曰、小怨不赦、大怨必生。子房用之、嘗勸高帝侯雍齒矣。書曰、決策於不仁者險。子房用之、嘗勸高帝罷封六國矣。書曰、設變致權、所以解結。子房用之、嘗致四皓而立惠帝矣。書曰、吉莫吉於知足。子房用之、嘗擇留自封矣。書曰、絕嗜禁慾、所以除累。子房用之、嘗棄人間事、從赤松子遊矣。
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